愛人と破局、次は旅館オーナーと関係を持ち⋯人を殺してまで「女将になりたかった」毒婦の末路(昭和35年の事件)

〈ふくよかな体で警察官を誘惑、青酸カリで夫を殺害⋯“3人を殺害した毒婦”のおそるべき犯行手口(昭和27年の事件)〉 から続く【写真】この記事の写真を見る(2枚)愛人との同棲は、わずか2年で破綻した。だが、女は止まらなかった。

 次に狙ったのは温泉旅館の経営者。関係を結び、やがて妻を殺させ、さらに男も手にかける。3人の命を踏み台に“女将”の座を奪い取ろうとした小林カウ――その末路とは?

 鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の2回目/ 最初から読む )

◆◆◆
夫の初七日も過ぎぬうちに、カウが中村を自宅に引っ張り込み同棲生活を始めると、近所では秀之助さんは2人が殺害したのではないかと噂が立った。

 中村もこの一件で警察を解雇されている。しかし、カウは中村を養うためますます商売に精を出し、彼を大学にまで行かせてやる。が、中村は18歳も上のカウのことを最初から単に性の捌け口で、良い金づるとしか考えておらず、同棲生活は2年もたたずに破局。

 その後、中村は同年代の女性と結婚、家庭を持った。カウは激怒し若い妻に激しく毒づいたものの、言える筋合いではなく、逆に中村に手切れ金を渡す羽目になったそうだ。

 1人になったカウは2年後の1956年春、栃木県の塩原温泉郷で新たに商売を始める。ホテル明賀屋前の店を家賃1年分を前払いして借り受け「那珂屋」という物産店をオープン。すでに48歳になっていたが、色っぽいと評判で、土産品はもちろん猥褻な写真や大人のおもちゃなども販売した。

 これが繁盛し、翌1957年には食堂「風味屋」も開店。実姉の娘2人を養女に迎え仕事を手伝わせる。

 貯金も順調に増え、土地も購入したことで資産はまたたく間に約300万円に(現在の貨幣価値で約6600万円)。
カウはしだいに自分で温泉宿を持ち、その女将の座に就きたいと考えるようになる。が、伝統ある塩原温泉で新参者が入り込めるような所はなかなか見つからなかった。

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