第1回【「30数年間、あたしに1円もくれませんね」…「樹木希林」が明かしていた「内田裕也」との仲 連絡手段がFAXだった理由とは】を読む【写真】ロックな裕也さん、一人娘の也哉子さん…個性派ぞろい「内田家」の人々樹木希林さんが死去したのは2018年9月15日のこと。早いもので7年の月日が流れたが、その姿を鮮やかに思い起こす人は多いだろう。低く落ち着いた声、一人称は「あたし」、自在に変化する表情、時に鋭い発言。達観した姿勢と江戸っ子の小気味よさが同居した樹木さんの発言を、「週刊新潮」は長きにわたって記録していた。
今回はその総集編の第2回。長く別居しながらも最期まで夫婦であり続けた内田裕也さん(2019年3月死去、享年79)について。樹木さんは「たまに会うには面白い」「背中合わせでそっくり」と語った伴侶との関係とは。また2013年3月の「全身がん」発言後、「なにか覚悟を決めてるとかそんな素晴らしいものではないの」と心情を明かしていた。
(全3回の第2回:「週刊新潮」2019年5月2・9日「『樹木希林』が『週刊新潮』に語った『全身女優』『内田裕也』『生死観』」を再編集しました。文中敬称略)
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内田裕也は2011年5月、元恋人女性に復縁を迫り、強要未遂などの疑いで逮捕された。その直後に樹木希林の自宅を訪ねた記者は、女グセが治らない内田への嫉妬心はないか、尋ねてみた。
「嫉妬とか言ってたら、首に縄つけて引っ張ってなきゃいけない。うふふ。そういう元気はないなぁ。でも、世間に対して不始末があった時に引き受け手がいないと迷惑かけるでしょ。だからあたしがいるのよ。人間はそんなに変わるものじゃありません。年齢は関係ないわね。それでもあたしが見放すことはないわね。出会った責任というのがあるんです。自分が内田さんと出会って、ましてや子供までいる。あたしが生きていて責任を取れるかぎりは取ろうと思ってます。
でも、向こうが『もう勘弁してくれ』と言ってきたら、別れる覚悟はあるよね。あたしが名前を知ってる方だけでも何人かいるわけですよ、恋人が。『その方と結婚するのはどうですか』と言ってるんですよ。でも内田さんは『俺は結婚は1度しかしねぇ。当たり前だろ、人間として』。うふふ、面白いところで筋が通ってるんですよ。そういう人と出会ったんだから。
未成熟で勝手なんだよね。大人になってる部分と子供のまんまの部分が体の中でグルグル回ってるから。でも人間としては面白いから。次に会ったら、そうね、『いやぁ、大変だったんだ』と言われてもプッと吹いちゃう。でも、それは悪いから後ろを向いてね。
毎年、ハワイに行ってるんですよ。向こうで待ち合わせして。部屋は別々に取ってますけどね。やっぱり、あたしも危ないものを持っているから、たまに会うには面白いんですよ。もちろん経費は全部、あたしが持ちますけど。ふっふっふっ、面白く生きないとね」