【日系2世の被爆者】「まず自分の平和を築く」 広島への最後の旅で次世代に託した願い

アメリカに住む日系2世で被爆者の男性は、アメリカ兵として朝鮮戦争にも従軍しました。2つの祖国で戦争に翻弄された男性は2025年、孫と共に最後の広島の旅に出ます。次の世代に託した思いを取材しました。【動画】被爆2世の被爆者 孫との“最後のヒロシマの旅”に託す思い
日系2世の被爆者、更科洵爾(さらしな・じゅんじ)さん(96)です。

■日系2世被爆者 更科洵爾さん
「生まれたのはラハイナ。マウイ・ハワイです。父はマウイ島のラハイナにいて、お寺の開教につとめてまいりました。」
1941年12月7日、日本がハワイの真珠湾を攻撃。この日から、日系人は「敵性外国人」とみなされました。

■日系2世被爆者 更科洵爾さん
「FBIが来て『あなたを逮捕する』 。それから戦争が終わるまで、(父は)収容所に入っていました。」
この時、更科さんは日本語の勉強のために、広島県安芸高田市にある実家の寺に戻っていました。その4年後、爆心地から3.5キロの場所で被爆します。

■日系2世被爆者 更科洵爾さん
「明るいオレンジの光を感じ、同時にものすごい爆風を感じて、吹っ飛ばされて気を失いかけた。たくさんたくさんのけが人が、そしてまた同時に死人がおり、動物も死んでいました。」
終戦後、ハワイに戻った更科さん。1950年に始まった朝鮮戦争に召集され、捕虜を尋問する任務にあたります。
 
■日系2世被爆者 更科洵爾さん
「アメリカが、原爆で私を殺そうとしたのにね。今になってから俺に、アメリカの軍隊に入って国を守れって言うから、『こんな馬鹿げたことなんかあるもんか』って。」
退役後は結婚してアメリカに住み、家族にも恵まれました。2年前に妻・清子(きよこ)さんが亡くなり、今は1人で暮らしています。
更科さんの孫・エミリーさん(22)は、2025年、更科さんと共に、広島を訪れることにしました。

■更科さんの孫 エミリーさん
「祖父に原爆についてもっと質問したいし、彼が経験したことを知りたいと思う。」

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