「現金5億円は絶対に受け取ってない」。ロッキード事件で賄賂を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われた元首相田中角栄。1977年1月に開かれた東京地裁の初公判で、潔白を主張した。
争点は多岐にわたった。検察、弁護側の主張は真っ向から対立し、審理は長引いた。初公判から6年8か月がたった83年10月、田中は実刑判決を受けた。決め手になったのは贈賄側の被告らの自白調書だった。
控訴審から弁護団に加わった弁護士の石田省三郎(79)は翌84年、都内の田中事務所で、田中と初めて会った時のことを覚えている。「私の裁判は法の理念と全く違っている」。田中はそう訴えた。
48年に法務政務次官を務めた田中。翌年に施行された刑事訴訟法について、刑事法学界の第一人者だった団藤重光(故人)の名前を挙げ、「供述調書は基本的に証拠として使えないことになると聞いていたのに、おかしい」と訴えた。
刑訴法は、法廷での証言に基づいて事実認定する「公判中心主義」を原則としているものの、実際の裁判は長年、供述調書が重視されてきた。石田は「田中先生の疑問は、裁判が供述調書偏重に陥っていることを指摘したもので、その通りだと思った」と語る。
田中は2審判決でも有罪とされた。最高裁に上告中の93年12月に75歳で死去。逮捕から17年以上がたっても、有罪、無罪は確定することなく、田中本人の裁判は幕を閉じた。
「立証に失敗したら、検察は10年立ち上がれないと言われていた。証人も証拠も膨大で、長期化はやむを得なかった」
田中の1、2審を公判検事として担当した高野利雄(83)はそう振り返る。
弁護側は、田中の秘書による現金授受を全面否定し、秘書のアリバイを主張するなどした。検察側の補充捜査には高野も加わった。弁護側の主張に反論するため、検察側は秘書の元妻に証人出廷してもらい、「『お金を受け取ったの?』と聞くと、(元夫は)うなずいた」との証言を得た。