2000年、「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)のワッキー役でデビューし、「ごくせん」シリーズ(日本テレビ系)のクマこと熊井輝夫役で広く知られている脇知弘さん。「さよなら、小津先生」(フジテレビ系)、連続テレビ小説「つばさ」(NHK)、映画「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」(塚本連平監督)、「未解決の女」(テレビ朝日系)などに出演。6月26日(金)に映画「罪の棘」(植田尚監督)が公開される脇知弘さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)
神奈川県で生まれ育った脇さんは、小さい頃からお笑いとプロレスが大好きだったという。
「子どもの頃から大好きでした。うちの母はそういうのが苦手な人だったのですが、父もお笑いが大好きだったので、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)とか『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)を一緒に見るのが楽しみでした。
でも、父が外出したりすると、その時間帯にいないじゃないですか。そうすると見せてもらえなかったです」
――その頃からお笑いの世界に入りたいと思っていたのですか?
「いや、まさかという感じですね。高校に行って、次大学どうしようかなという時に、結構周りが予備校に通ったりして、大学受験の準備をし始めたので、それでちょっと僕が焦っちゃって。
特に将来何をやるとか決まってなかったので、どうしようと思いながら親に相談しました。みんな頑張っているから、僕も大学に行こうかなと思っているって。そうしたらすぐに予備校を探してくれました。
それまでは将来の夢というと、身長が180cm以上になったら新日本プロレスに入りたいなと思っていたのですが、180なかったので諦めて。
それで大学に行くかってなったのですが、もともと勉強はできるほうじゃなくて。自分が行けそうな大学を探して、5校ぐらい受けたのですが、見事全部落ちてしまいまして。ちょっとやばい、親に申し訳ないなと思って。
将来の夢という夢も特になくて、父が働いている会社にちょっと口を聞いてもらえないかなとも思いましたし…。
そうなった時に、そういえば一つだけ、やりたいかどうかわからないけど、高校時代の友人とふざけて『俺たちお笑い芸人になろうぜ』って言ったことを思い出して、お笑い系の事務所を探してその友人に連絡したんですよ。
そうしたら、その友人に『ごめん、俺就職が決まっちゃった』って言われちゃって、『マジか。じゃあ、俺ピンでやるからいいよ』ということになって。
その時には親も協力してくれて。新聞に、今の『アットプロダクション』なんですけど、テアトルアカデミーグループの『浅井プロダクション』のオーディション記事が出ていたのを親が見つけて、『ここお笑いもやっているじゃない。受けてみたら?』って言われたので、受けたら合格しました。
でも、これは親の勘違いから始まりました。今の事務所の前の名称が浅井プロダクションだったので、萩本欽一さんの事務所『浅井企画』と間違えて『ここ有名なところだよ。欽ちゃんたちがいるところだから』って言われたんですよ。それで受けて合格したら萩本さんの事務所じゃなかった んです(笑)」
――結果的に、それからわりとすぐに「池袋ウエストゲートパーク」(TBS系)に出演されることに
「そうですね。入ってみたら、お笑いのレッスンも確かにあったので、すごく楽しみでした。僕はやっぱりお笑い芸人になりたかったので。
それで、演技なんてしたことないぞと思いながら、ちょっと受けてみるかっていうぐらいの気持ちで演技レッスンを受けていきました。
コントとか漫才も、結局演技だなと思って。そこから、演技というのも何となくやってみようかなと思って本格的にレッスンを始めてすぐに、『池袋ウエストゲートパーク』のオーディションでした」