高市早苗総理大臣が仕掛けた総選挙で、自民党は過去最多、316議席を獲得する歴史的大勝利を収めた。高市総理個人の人気、野党の不甲斐なさに加え、自民党の広報戦略が奏功したのも勝利の要因として挙げられるだろう。【写真を見る】戦後日本で、最も成功した“政治プロパガンダ” 「キャッチフレーズ見たことあるかも!」
自民党が広報戦略に本格的に注力したのは、2005年、小泉純一郎総理の下で行った「郵政民営化解散総選挙」の時である。この時、やはり自民党は296議席を獲得する大勝を収めた。当時パートナーだった公明党の議席と合わせると衆議院議員定数の3分の2を上回る「歴史的勝利」だった。
注目すべきは、実は似ているのは「結果」だけではないという点だ。本来、保守のはずの自民党が「改革」側というイメージを出すことに成功した点、そして有権者に「二択」を迫ったという点においても、当時と今とは酷似しているようだ。ジャーナリストの烏賀陽弘道氏は、郵政民営化解散総選挙は、日本の政界において「アメリカ流プロパガンダ」が幅をきかせるようになったターニングポイントだ、と指摘する。
一体、国民は何に熱狂したのか。あるいは熱狂させられたのか。
烏賀陽氏の著書『プロパガンダの見抜き方』をもとに見てみよう(以下、同書より抜粋・再構成しました)。
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戦後の日本でもっとも成功した政治プロパガンダはなにかと問われるなら、私は小泉純一郎総理の「郵政民営化」を挙げる。
あまり表面には出て来ないのだが、この「郵政民営化」をめぐる小泉政権の「民営化法案提出→否決→解散→総選挙(自民党内反対派の切り崩し)→小泉派圧勝→可決・郵政民営化実現」という一連の動きの対世論工作には、はっきりとした戦略を描いて、その作戦を実行した人物と組織が自民党内に存在する。
「パーティー券ノルマ超過分の裏金化」という、嬉しくない事件ですっかり有名になった「自民党安倍派幹部5人衆」(元参議院自民党幹事長)のひとり、世耕弘成・衆議院議員である。
2005年の「郵政民営化解散総選挙」当時、世耕議員は1998年に初当選した、42歳の「若手」議員だった。その選挙での勝利と自らのPR戦略の詳細を自著『プロフェッショナル広報戦略』(ゴマブックス)に書いている。ちなみに世耕氏は同書の中では「プロパガンダ」という言葉を一度も使っていない。日本語では「広報」、英語では「PR」と呼んでいる。これはプロパガンダとほぼ重なる。
興味深いのは、世耕弘成氏は1998年に伯父の地盤を受け継いで政界入りするまで、NTTの広報部員だったことだ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、1986年入社。いわゆるリクルート事件で、真藤恒(ひさし)NTT前会長が未公開株の譲渡を受けて逮捕された1989年前後は広報部員として報道との折衝を担当していた。
そして1990年にアメリカのボストン大学大学院に留学。企業広報論で修士号を取得している。その意味では、アメリカ型PRのメソッドを習得した、日本では珍しい政治家なのだ。
「広報とは『プロジェクトマネージメント』である。この概念を私はボストン大学大学院の企業広報論で学んだ」
世耕氏は前掲の『プロフェッショナル広報戦略』で第一行目にはっきりと書いている。
「どんなに立派な政策だろうが、それを国民に理解してもらい支持される作業が重要なのである。そして最終的には選挙を通して与党としての信任を得なければ、政策を実現できないのだ。中身がきちんとした政策であるのは当然として、国民、社会とのコミュニケーションが政治の本質と言っても過言ではない。だからこそコミュニケーションのプロによる広報戦略が欠かせないのである」
2005年8月の「郵政民営化解散総選挙」で、世耕氏は「自民党広報本部長代理」に就任する。推挙した安倍晋三氏は幹事長代理だった。さらに幹事長補佐という肩書も得る。
小泉総理は世耕氏に直接こう指示したという(前掲書)。
「今回は広報が大切だから君がぜひやってくれ。広報はわかりやすく、やさしくやってほしい。で、オレはもう、キャッチフレーズも決めてあるんだ、武部さん(注・当時幹事長)にも話した。キャッチフレーズは『改革を止めるな。』」
世耕氏は、遊説局、情報調査局(世論調査担当)、広報局(CMやポスター)、報道局(記者クラブ対応)、新聞局(党の機関紙)、マルチメディア局(HP制作)などバラバラだった自民党の宣伝部局を横断して「コミュニケーション戦略チーム」を立ち上げた。そこに党外のPR会社をスタッフに加えた。