50万ドルを獲得も「所持金13ドル」で逮捕…ハイジャック犯が81歳で明かした「珍事件」の真相とは?

1972年6月、マーティン・マクナリー(Martin McNally)は、全米で大きな話題となる計画を胸に、アメリカン航空の旅客機に搭乗した。【動画】マクナリーが起こしたハイジャック珍事件がまさかの映像化…『American Skyjacker』予告編当時28歳だったマクナリーは、アメリカン航空119便をハイジャックし、50万ドル強の現金と脱出用のパラシュートを要求。この犯行により、結果的に約40年を刑務所で過ごすことになる。服役中には脱獄未遂にも関与し、その過程で起きた死亡事件は、今も彼の心に重く残っているという。

ライフルを手に、ブリーフケースには発煙弾を忍ばせ、さらに偽の身分を用意していたマクナリーは、セントルイス発オクラホマ行きの約100人の乗客を乗せたジェット機を制圧した。機体は身代金を用意するため、ミズーリ州へ引き返すことを余儀なくされた。

「正気じゃなかった。本当に愚かだった」とマクナリーは1月8日付のピープル誌のインタビューで語っている。「やるべきじゃなかった」

この大胆な計画の着想源となったのが、数カ月前に同様の犯行を成し遂げた謎のハイジャック犯、D.B.クーパー(D.B. Cooper)だった。

1971年11月24日、クーパーはノースウエスト航空305便をハイジャックし、爆弾を所持していると主張して20万ドルと4つのパラシュートを要求。シアトルで乗客を解放した後、次のフライト中に機体からパラシュート降下し、ワシントン州南西部の森林地帯へと姿を消した。

彼の正体やその後の行方は、いまも分かっていない。
ミシガン州ワイアンドットで靴のセールスマンをする父の下に生まれたマクナリーは、ラジオでクーパーの事件を知り、自分も一攫千金を狙えると考えたという。後年、マクナリーは振り返り、「紙切れの束のために、人生をほぼ丸ごと投げ捨てたようなものだった」と語っている。

同年6月の朝、マクナリーの計画は始まって間もなく綻び始めた。新しい機体と乗務員を要求し、1人を除く人質を解放した後、50万2000ドルを入れたバッグを腰に固定し、カナダへ向けてパラシュート降下する準備に入った。

海軍の退役軍人だったマクナリーは、実際には一度もパラシュートを装着した経験がなかった。インディアナ州上空で機外へ飛び出した瞬間、悲劇が起きる。

FBIから支給された予備のパラシュートが頭部に激突し、顔を打撲したうえ、現金の入ったバッグは夜の闇へと消えた。「信じられなかった」とマクナリーは語る。「叫び続けていた。『金がなくなった!』って」

5日後、マクナリーは所持金わずか13ドルの状態で警察に逮捕された。手にしたのは富ではなく、航空機強奪による終身刑2回という現実だった。2010年に釈放されるまで、彼は約40年を獄中で過ごすことになる。

刑務所生活もまた波乱に満ちていた。逮捕から6年後、マクナリーはある脱獄計画に巻き込まれるが、それも失敗に終わり、悲劇的な結末を迎える。

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