2024年にサンダンス映画祭で上映され、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされながらなかなか公開されなかった。ようやく昨年12月にわずか1館での上映が始まると、話題を呼んで連日満席に。いまでは全国で拡大上映され、ネット上での賛否両論はヒートアップし続けている。ジャーナリスト相澤冬樹は、本作をどう観たか?【画像】性暴力被害者の直面する不条理を命がけで描き出した伊藤詩織監督『Black Box Diaries』の場面写真をすべて見る◆◆◆
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
これが映画の第一印象だ。幕末、維新の志士を育てた吉田松陰先生の歌。鎖国当時、海外渡航は重罪だったが、国を案ずる“やむにやまれぬ”思いから決行した。映画『Black Box Diaries』の監督、伊藤詩織さんも、人生を賭して日本社会に一石を投じる“やむにやまれぬ”思いがあっただろう。冒頭の場面でそう感じる。
「もしもし、お姉ちゃん元気? あのさ、お母さんから聞いたんだけど、お姉ちゃんがあの事件について話すって。そんなことしたらレッテル張られると思うんだよね。『あ、被害者の人だ』って。だから、顔出ししてほしくない」
顔を出した記者会見に臨む前、妹がかけてきた電話の声。家族の極私的で率直な会話をいきなりさらけ出す。その声を車内で聞く伊藤さんの表情は硬い。だが宙を見つめる眼差しは“覚悟”を物語っている。リスクを承知で、被害を“なかったこと”にはしないと。やがて伊藤さんを乗せた車は首都高の分岐点に差し掛かり、進行方向を変えていく。人生の舵を切ったことを象徴しているのだろう。こういう印象的なカットが随所にさりげなくちりばめられている。
例えば、川沿いの夜の桜並木を映したシーン。暗い川面に花びらが浮いている。美しい光景だが、伊藤さんはもうこの景色を以前のように愛でることはできないと気付く。被害を受けた日が桜の季節だったから。
2015年4月3日、伊藤さんはTBSワシントン支局長の山口敬之氏から食事に誘われ、酩酊した状態でホテルに連れていかれレイプされた。そう訴えたが山口氏は合意があったと主張。彼が当時の安倍晋三総理と親しかったことが事態を複雑にする。警察の捜査は進まず、伊藤さんは変化を望み実名で被害を公表。すると事件を疑う人々から誹謗中傷が殺到する。
伊藤さんは自らカメラと携帯を手に“記録”を始めた。例えばタクシー運転手の証言。ホテルに着いた時、伊藤さんはほとんど意識がなかったと話す。次いで警察で事件を担当した捜査官A。山口氏に逮捕状が出たのに、警視庁刑事部長だった中村格氏が逮捕直前にストップをかけたという驚きの内情を明かした。さらにホテルの防犯カメラの映像。伊藤さんが山口氏を訴えた民事訴訟でホテルから証拠として提供されたもので、伊藤さんが山口氏に抱きかかえられるように運ばれる姿が映っている。
一方、伊藤さんが自ら命を絶とうとした時の映像も使われている。家族に遺書として残したビデオレターを、涙を流しながら自撮り。その後、一命をとりとめて病院で目覚めた時、病室の様子をスマホで撮っている。本人は撮った記憶をなくしていたが、編集担当の山崎エマさんが見つけ出した。山崎さんは小学校や甲子園を舞台にしたドキュメンタリーの監督として知られる。この映像について伊藤さんは1月9日、大阪での公開初日に舞台あいさつで語った。
「当事者としては特に母には見せたくなかったものだし、すごく泣いてるところを自ら入れるなんてどうなんだろうと思いましたけど、多分死にたかったんじゃなくてどうしても生きて伝えたかったんだなと思って、出してもいいかなと感じました」