2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが起きてから、人々は民主主義と自由を奪われた。最初は徹底した非暴力で抵抗を示した市民だったが、無慈悲なことに、軍はそんな市民たちを虐殺し始める──。
当時、国際開発の仕事でヤンゴンに住んでいた西方ちひろさんは、自身が目の当たりにした民主化闘争をリアルタイムでSNSに投稿し、子どもたちの未来のために自由と民主主義を命懸けで取り戻そうとする市民の様子を発信した。初著書『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』では、西方さんの投稿を加筆修正し、クーデター後1年間の様子が丁寧にまとめられている。【現地写真】クーデター後、最大のデモの様子。軍に打たれたときのことを考え、ある色の服を着ている人が多く…
今回は、軍による目を背けたくなるほどの残虐行為の数々に加え、インターネットを遮断されどんどん“ブラックアウト化”するミャンマーの様子、そしてひどすぎる惨状を前に国際社会および日本はどのように対応してきたのかについて、抜粋・編集して紹介する。
■激しさを増す軍の狂気
2021年3月10日。軍による残虐行為が、日々エスカレートしている。毎日どこかで誰かが銃殺され、実弾によって身体の一部を吹き飛ばされた人たちの生々しい写真がSNSで拡散される。
数日前にツイッターで見かけた、ヤンゴン在住の日本人の投稿には「自宅近くで、暴行を受けて腕を折られた挙句に拉致された、その仲間を返せ、と抗議に行った2人が撃たれて死んだ」と、どうしようもなく理不尽な状況が記されていた。私も「あぁ、今日はどこで何人が撃たれたんだ」と、その数字に伴うはずの感情を失い、虚ろな気持ちでスマホをスクロールし続けている。
3月3日にマンダレーでデモに参加し、頭部を撃たれて即死した19歳の女性は、彼女が着ていたTシャツに書かれた『Everything will be OK(きっとすべてうまくいく)』という希望のメッセージとともに、一気に抵抗運動のアイコンとなった。
これに対し軍は、彼女の死を「軍の武器によるものではない」と主張。あろうことか、遺族の許可なく彼女の墓を掘り起こして遺体を持ち去ると、勝手に「検死」を行い、「遺体の頭部にあった銃弾は軍のものではない」と発表した。墓の周囲に散乱した、血のついたビニール手袋。死者を二度殺すような陵辱行為に、心が凍りつく。
一般宅への強制立ち入りや逮捕も、過激さを増している。夜間の逮捕が本格化した2月中頃は、警察が誰かを拘束しにくると、誰かが鍋を鳴らし、それを聞いた住民たちが人間の鎖を作って警察の行く手を阻んでいた。