自身も学生時代に野球部に所属していたライター・中野慧氏は、2020年起きた「甲子園の土メルカリ出品事件」に潜むメッセージに着目する。甲子園に象徴される“高校野球の神聖さ”は、本当に球児たち自身のものなのか。高校野球をめぐる価値観と社会のありようが見えてくる。※本稿は、中野 慧『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。【この記事の画像を見る】● 「甲子園の土」がメルカリに! 騒動が物語る球児の思いとは
2020年夏の甲子園中止は、さまざまな波紋を野球界に投げかけた。なかでも「甲子園の土メルカリ出品事件」は、甲子園野球の価値を疑わない野球人たちにとっては不穏なニュースであった。
事の発端は、甲子園球場を本拠とする阪神タイガースが、「コロナ禍で甲子園の夢を絶たれた球児たちを励ましたい」と、全国の高校野球部の3年生(マネージャー含む)約5万人に「甲子園の土」が入ったキーホルダーを贈ったことだった。しかし後日、それがフリーマーケットアプリ「メルカリ」に続々と出品されていることが発覚したのである。
これを受け、巨人やボストン・レッドソックスなどで活躍した上原浩治はTwitterに「こんなことをする奴がいるんかぁ。何か寂しいなぁ…阪神の関係者の気持ちもキーホルダーには入ってるのに…」と批判的な投稿を行った。野球界では、大人の善意の行為をふみにじる現代の高校球児のモラル低下が懸念されたのである。
しかし「甲子園の土」キーホルダーは過去にも来場者特典として無料で数万個以上配布されたことがあり、そもそも中身はただの土である。
高校生たちはそれにありがたみを感じるのではなく、大人たちの「君たち、甲子園に行きたかったんだろう。今回は残念だけど、代わりに甲子園の土を送ってあげるね」という上から目線の押し付けがましさを感じ、なかには「こんなものいらないから、メルカリで処分しよう」と考えた者もいたのだろう。
● すべての高校球児たちが 甲子園を目指すわけではない?
私の考えでは、ほとんどの高校球児は甲子園を目指していない。「甲子園」は基本的にグラウンドなどの設備が潤沢で、中学硬式クラブチームなどから有力選手を集めることができ、専門的な指導が受けられ、プロのように野球に専念できる私学強豪校に占有されている。勉強もしなければならない普通の高校生はまったく太刀打ちできない。
これは都市部ほど顕著な傾向であり、たとえば神奈川や愛知、大阪など180ほどのチームがある「激戦区」でも、夏の甲子園に出られるのは1校でしかない。「それでも公立で甲子園に出ている学校があるじゃないか!諦めるな!」と言われる。たしかに地方部ではギリギリ可能ではあるが、そういった公立校であっても野球専用グラウンドを持っていたり、野球推薦に近い抜け道を活用して有力選手を集めているケースが多い。
ほとんどの高校球児は仲間と楽しく野球をやりたいだけだが、大人たちや世間から「高校野球をやっているなら甲子園を目指しているんだろう」という強烈なまなざしを受けるため、「すべてをなげうって甲子園を目指す」という高校球児像をみなで演じ合っている。この矛盾が露呈したのが「甲子園の土メルカリ出品事件」だったと、私は考えている。
甲子園野球の「神聖さ」は、メディアによって長年かけて作り上げられてきた巨大な虚像である。野球好きの保護者たちは、我が子を甲子園に出場させたいがため、小中学生の早い段階から本格的な硬式野球クラブチームという「野球塾」的な場に通わせ、高校の強豪チームに送り出そうとする。
生徒不足などの難題を抱える私立高校は経営資源確保のため、野球で進学したい生徒を集めようとする。その両者をマッチングさせるべく、ブローカーが暗躍する。