なぜ勉強だけは「苦手な子に合わせた」一斉授業なのか。ホリエモンが指摘する学校教育の矛盾点

「できる子」が周りから浮いてしまう「浮きこぼれ」の一因は、現代の学校教育で行われる「一斉授業」にある? それが結果的に優秀な子どもの可能性を奪っている?【画像】堅実派が多い? 男子中学生が「将来なりたい職業」ランキング実業家・堀江貴文氏の著書『バカ親につけるクスリ』は、従来型の教育意識を根底から覆し、親が「自ら仕事を作り出せる」子どもを育てるために必要な「ネオ教育論」を伝える一冊。

本書から一部抜粋し、現代の学校教育が抱える「画一的な一斉授業」の問題点と、それによって生まれる「浮きこぼれ」という現象とその解決策、またオンライン授業の可能性を解説する。
1人1台端末がコロナ禍の2020年度に配布を前倒しされた理由には、感染症の流行などで突然休校になった場合にもすぐにオンライン授業を実施でき、学習の歩みを止めなくて済むから、という点があったはずだ。

しかしコロナ禍が収束するにつれ、現在の公立小・中学校では対面授業を重視し、オンライン授業をほとんど実施していない。

オンライン授業には、休校時だけでなくさまざまなメリットがある。1つ目には、子どもが各自の能力に応じて難易度を選んで授業を受けられる点が挙げられる。

そもそも近隣に住む同年齢の子どもたちを1カ所に集め、同じ時間に同じカリキュラムで、同じ教科書で学ばせる対面での一斉授業なんて、効率の悪さの極みだ。なぜなら、一人ひとりの生まれ持った能力には差があるからだ。

学校は「個性を認め合おう」と言う。それならば、勉強ができる子の個性、できない子の個性を認め、それぞれに合った教育をすべきだ。

こういうと、「そんなことはない、うちの子が他の子よりも勉強ができないなんておかしい」などと現状を認めない親も出てくるだろう。しかしそれは才能の差なのだからしょうがない。
走るのが速い子がいれば遅い子がいるように、歌が上手な子がいればどうしても音痴な子もいるように、勉強ができる子とできない子の「格差」は確実にある。

走るのが速い子に、「遅い子に合わせて走るべきだ、全力疾走はしないでくれ」なんて言わない。歌が上手な子に、「音痴な子に合わせて、ちょっと音程を外して歌え」なんて言わないはずだ。

しかし勉強に関しては、「勉強が苦手な子に合わせて、ゆっくりと授業を進める」なんてことがまかり通っている。できない子を引き上げることにリソースを投入し、能力の差を均質にしようとする、それが今の日本の学校教育だ。

それでは、勉強ができる子が学校の一斉授業に意味を見出せないのは当然だ。僕も田舎の公立小学校に通っていた子ども時代、学校がつまらなくてしょうがなかった。

なお僕の場合、学校がつまらない理由にはもう1つ、周囲と会話のレベルが合わないということもあった。友人たちの会話のレベルが低すぎたのだ。僕はわざと会話をグレードダウンさせて話を合わせていたが、そんな毎日は正直つまらなかった。

「浮きこぼれ」になる子どもたちの存在も、以前よりは認知されてきている。

浮きこぼれとは、学力や学習意欲が高く、抜きん出て勉強ができるために周囲から浮いてしまい、疎外感を覚えたり孤立してしまったりする状況のことだ。学力が低いために取り残されてしまう「落ちこぼれ」の対極である。

「周囲より勉強ができるなら、別になんの問題もないじゃないか」と思われがちだが、当人たちにとっては、学習や会話のレベルが周囲と合わないことで日々ストレスが積み重なっていく。浮きこぼれが原因で不登校になる子さえいる。

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