「逮捕のきっかけは腐乱した男性遺体」わずか1ヶ月半で8人殺害…お金持ちの子供が「日本最悪の殺人犯」になった理由(昭和40年の事件)

1965年、西日本を震撼させた日本初の広域重要指定事件。わずか1ヶ月半の間に50〜60代の男性8人が次々と惨殺された。逮捕されたのは、前科8犯の51歳男。【写真】この記事の写真を見る(2枚)裕福な実家に生まれながらも、母親の死をきっかけに暗転した壮絶な生い立ちと、出所後に始まった「最初の殺人」とは――。鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の1回目/ 続きを読む )

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1965年(昭和40年)、西日本を中心にわずか1ヶ月半で50〜60代の男性8人が連続して殺害される戦慄すべき事件が起きた。犯人は当時51歳の古谷惣吉という、刑務所を出たばかりの前科8犯の男。古谷は金銭奪取目的で、廃品回収業者など社会的弱者を虫けらのように葬り、自身も死刑に処された。

 古谷は1914年(大正3年)、長崎県上県郡仁田村志多留(現・対馬市上県町志多留)で、5人兄弟姉妹の長男として生まれた。家は農業と旅館業を営み比較的裕福だったが、古谷が4歳のとき母親が死亡。

 その後、父親が再婚した継母に虐待をうける。また、父親も仕事で家を空けることが多く、そのうち妻子を残したまま材木商として朝鮮半島へ出稼ぎに。継母も家を出ていき、古谷は弟妹らと親戚をたらい回しにされる。

 古谷は叔父の家に引き取られていたが、扱いは冷たく、家出を繰り返したり、学校でも物を盗むなど素行不良な面が現れ、10歳のとき、父親に会いたさに単身、朝鮮半島に渡る。が、父親の3度目の結婚相手とも馴染めず、12歳のときに帰国。
その後、祖母や叔母の家に身を寄せるも、中学2年のとき教師を殴り学校を中退。ほどなく半島から戻った父親と再び対馬で暮らし始めたが、結局1929年(昭和4年)、15歳のときに家を出て福岡の博多駅周辺で不良仲間とつるむようになる。
1930年、広島県で窃盗事件を起こし岩国の少年刑務所に服役。以降、窃盗や詐欺、恐喝未遂などで塀の内外を行き来する日々を送り、1945年8月の終戦時も窃盗で懲役6年の刑を受け福岡の若松刑務所に収監されていた。福岡市内で知り合った坂本登という19歳の男と共謀し、小銭目当てに同市内の40歳の浮浪者男性を殺害するのは、出所まもない1951年5月。翌6月には福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)の民家に強盗に入り70歳の男性を亡き者にした。

 7月に逮捕された坂本が普段「ソウさん」と呼んでいた男が首謀者で自分は見張りをしていただけであると主張したが、ソウさんこと古谷は逃亡中の身。裁判では坂本に死刑判決が下り、1953年に福岡拘置所で絞首刑が執行される。同年末、古谷も逮捕されたものの、取り調べで坂本にそそのかされ自分は見張りをしていただけに過ぎないと供述。

 1956年3月の判決公判で懲役10年の刑を受け、福岡刑務所に収監後、熊本刑務所に移監される。刑期を1年残し仮出所したのが1964年11月でこのとき古谷は50歳。16歳の初逮捕以後の34年間のうち27年間を塀の中で過ごしていた。

 大量殺人の幕が開くのは1965年10月30日だった。

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 その後、男は腐乱した遺体をきっかけに逮捕される。前科8犯の彼にくだされた罰とは……。

「遺体からズボンを剥ぎ取った理由は…」8人殺害しても“反省なし”…前科8犯男の末路(昭和40年の事件) へ続く

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