「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」。『踊る大捜査線』の青島俊作が熱く正義を叫んだ名セリフは、いまなお多くの人の記憶に残っている。一方、『相棒』の杉下右京は、巨大な権力を相手にしても正義を声高に語ることはない。同じ警察組織の理不尽と戦いながら、なぜ杉下右京は青島俊作のように熱く正義を語らないのか。※本稿は、社会学者の太田省一『「相棒」大全 25周年を迎えた傑作刑事ドラマ大研究』(星海社新書)の一部を抜粋・編集したものです。【この記事の画像を見る】● 捜査権が認められていない 特命係という設定の妙
警察ドラマの視点から刑事の世界を描いたのが『踊る大捜査線』である。そこでは主に、警視庁キャリアの室井と所轄署ノンキャリアの青島の関係を軸に、警察組織内の厳格な上下関係がもたらす壁の厚さ、だがそれを超える友情が描かれていた。
そういう意味では、同じ警察ドラマであっても『相棒』はかなり違う。右京は元々警察庁に入ったキャリア。警察内の出世ルートに乗らなかったのは、自分の意思だ。だから事件の捜査に当たっても、青島のように所轄署の悲哀を味わうことはない。
では、警察ドラマという意味で『相棒』をユニークなものにしている根本はなにか?それは、「杉下右京は刑事ではない」という設定だろう。
特命係に捜査権は認められていない。だから厳密には右京たちは「刑事」ではない。殺人事件が起こった際に捜査権があるのは、あくまで捜査一課に所属する刑事たちだ。劇中でも、呼ばれてもいないのに事件現場にやってくる特命係に呆れかえり、邪魔をするなと釘を刺す伊丹や三浦ら捜査一課の刑事たちの姿が描かれる。
しかし、それもまったく効き目がなく、右京たちは当然のように現場検証に参加し、独自の捜査を続ける。それが強引すぎて波紋を巻き起こすことも。
すると、その話を聞きつけた刑事部長の内村完爾(片桐竜次)と参事官の中園照生(小野了)に呼び出される。「余計なことをするな」などと叱責され、捜査に関与しないように命令される特命係。時には謹慎処分も受ける。組織の規則から言えば、当然の対応である。
しかし、そのようなことがあっても、右京たちは捜査をやめない。内村たちは、組織上厳密に言えば上司であって上司ではないからだ。便宜上は甲斐峯秋(編集部注/警察庁次長。Season16にて特命係の指揮統括を任されるようになった)などが特命係の上司的立場であったりするが、その権限は曖昧だ。その結果、ひとつの事件に対して捜査一課と特命係の捜査が同時進行することになる。
当然、行く先々で両者は遭遇する。伊丹たちに「またかよ」と露骨に嫌な顔をされながらも右京はどこ吹く風で動じない。関係者に聞き込みをしても、「さっきもう違う刑事さんにお話ししましたけど」と怪訝な顔をされる。だが右京はにこやかに微笑みながら「部署が違うものですから」などと適当にごまかし、改めて話を聞く。
● 『相棒』は刑事のことを サラリーマンとは捉えない
こうした独断専行が特命係に許されるのはなぜか?もちろん現実問題としてはありえないが、物語的に可能になっているのはなぜか?そのあたりは、『踊る大捜査線』とのコンセプトの違いを考えてみるとわかりやすいだろう。
『踊る大捜査線』は、「刑事もサラリーマンと同じ」という発想が出発点だった。脚本の君塚良一は、警察関係者に取材した際に次々と飛び出すエピソードに驚く。
たとえば、若い刑事が、重要参考人の家の前で張り込みをしていたにもかかわらず、「ぼく、今日デートなんで帰ります」と言って本当に帰ってしまったという話、またやはり若い刑事が尾行中にお腹が空いたのでパンとジュースを買ったのはよいが、領収書をもらおうとして犯人を見失いかけた話などである(君塚良一『テレビ大捜査線』、22頁)。