俳優として、そしてバラエティ番組でも活躍した中村玉緒さんが、今月9日、肺炎のため、亡くなりました。86歳でした。さとう珠緒「太陽のような方でした」中村玉緒さん(当時73)
「(明石家)さんまさんと出会ったということは、褒めるといかんというか、運命。(Q.あなたを面白いと思ったところがすごい)出会いというのはねえ」
玉緒さんは、1953年に俳優としてデビュー。夫は、昭和の名優、勝新太郎さんです。
1955年の映画『かんかん虫は唄う』で初共演。まだ、玉緒さんはヒロインではありませんでした。5年後、『不知火検校』で相手役を務め、2年後、2人は結婚します。
京都・嵐山に新居を構え、暮らし始めました。かつて、自宅の隣にあったうなぎ店のご主人は、こう話します。
玉緒さんと60年以上のつきあい『うなぎ廣川』 牧野順二さん
「全く飾らない。こちらとしても普通の隣近所の人として接していた。(勝さんは)豪快な方なので、お金を持たずに来る。10人、20人スタッフ全部、一番、上等なのを食べさせる。その尻ぬぐいは、全部、玉緒さんが、毎回、来ていた。玉緒さんは『勝さんの食べたものをください』と、亡くなられて、しばらくして最初に来たとき、勝さんが食べたものを食べたいと。本当に好きなんだなって」
玉緒さんは、人間国宝の二代目・中村鴈治郎さんの長女として生まれました。兄の四代目・坂田藤十郎さんも人間国宝です。
女性は、子どもしか舞台に上がれない歌舞伎の世界。
中村玉緒さん(当時81)
「父はかわいがってくれた。化粧も兄がやってくれるが、着物を着るのが嫌いで、衣装さんを叩きながら舞台に出た」
玉緒さんは、子役として南座の顔見世に出演しました。女性として、戦後初といわれています。ただ、お稽古事は苦手だったそうです。
中村玉緒さん(当時46)
「うちの場合は、京都の本当の下町。床几を出し、夜はお化けの話を聞くところ。お友だちがピアノ習っていると聞くと、習いに行く。お琴を習いに行く人がいたら、お琴を習いに行く。なんでも人がやっているものをやって、みんなだめ、三日坊主。いまは子どもたちに偉そうに、ちゃんと続けなさいと言えない立場。一番、続いたのが女優さん」