成松由紀夫被告「陰の市長」どう誕生? 選挙、人脈、情報収集… 証言から浮かぶ成松被告の〝権力掌握術〟 八代市庁舎汚職

熊本・八代市庁舎建設を巡り、あっせん収賄罪で28日起訴された市議の成松由紀夫被告(54)は、ほかの議員や市職員から「陰の市長」と呼ばれていた。関係者の証言から、選挙を機に市長との距離を縮め、独自の人脈や情報を使いながら市政に大きな影響力を持つようになった経緯が見えてきた。

 「市政運営は市長-成松-副市長という構図だった」。市議の一人は、2025年9月まで3期12年続いた中村博生・前市長時代の市役所の雰囲気をこう評した。元市幹部も「ある時から事業や予算で市長の了承を得る前に、成松氏に説明して了承を得るようになった。通常は考えられない流れだ」と明かした。

 成松被告は05年の市議選で初当選。市職員OBによると、新人議員時代は一般質問で福祉問題を取り上げ、災害現場にはいち早く駆けつけるなど、「市民に寄り添った活動をする熱い議員だった」という。

 その「熱い議員」が「陰の市長」になっていくターニングポイントは、中村氏が再選を目指した17年の市長選と同日投開票の市議選だった。
13年に自民党県議から市長に転身した中村氏の1期目は、少数与党の苦しい市政運営を強いられた。17年の市議選も下馬評は「自民苦戦」だったが、自民系市議16人が当選し、定数28の市議会で過半数を占めることになった。中村氏も市長選で圧勝し、2期目の市政は安定した。

 成松被告はこの選挙の遊説で、中村氏の名前を連呼するなど一体感をアピール。中村氏の信頼を得て関係を深めたとされる。

 複数の元市幹部は、選挙後、「中村市長が電話口で『成松ちゃん、頼むじぇ』とよく口にしていた」と証言する。成松被告も「これは市長も了承済み」と言って市に要望する案件が増えていった。ただ、市幹部が市長に確認すると、不承知の案件も多かったという。

 成松被告は市の人事にも口を挟むようになる。元市幹部は、成松被告が経営するちゃんこ店に呼ばれ、幹部ポストへの就任を要請された。「よく考えると、中村市長からの要請はなかった」。そのポストに就任すると、幹部だけではなく一般職員の人事も依頼された。「内示後のこともあった。もちろん、依頼された通りの人事にはならなかったが」と語る。

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