5月19日、兵庫県たつの市新宮町段之上の民家で、田中澄恵さん(74)と次女の千尋さん(52)が血を流して死亡しているのが発見された。【画像】大山容疑者の指名手配写真山川に囲まれたのどかな街で発生したおぞましい事件発覚の3日前、容疑者はすでに警察と接触していた。
「人を殺した」。任意同行を求められ、署で事情を聴かれた際、そう話したという男。5月16日の深夜、「兵庫県高砂市内の路上で寝ている男がいる」という通報を受け、警察官が駆けつけ、事情を聴いたその相手こそが大山賢二容疑者(42)だった。
しかし、そのまま解放され、その後、事件が発覚する。
ここまでをみれば、疑問ばかりが浮かんでしまう…。なぜ逮捕しなかったのか。報道各社はこぞって「警察の失態」という文脈で報じた。だが、事はそれほど単純ではない。
「『人を殺した』と言ってきた人がいたとして、『いつ、どこで、誰を』と聞いたときに『分からない』と答えたなら、虚言と判断する possibility が高い」
こう語るのは、元警察官で 『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)の著者・安沼保夫氏だ。現場の第一線に立った経験を持つ同氏は、「人を殺した」との申告があった際に虚言か否かを判断する基準として「凶器の所持」や「返り血を浴びているような状況」の有無を挙げる。
証言を裏付ける、確たる“証拠”があれば、当然突っ込んで聴取する。逆にいえば、そうした具体的な裏付けが何もない状態では、「人を殺した」という発言だけをもって身柄を拘束することは難しいという。
今回の事件でも、この論理は一致している。大山容疑者は日時も場所も相手も説明せず、話は曖昧でかみ合わなかったとされる。刃物などの所持品も見つからなかった。
署員は信ぴょう性が低いと判断し、17日未明、警察車両で本人の実家付近まで送り届けた。そもそもこの時点では殺害事件は明らかになっていない。
それでも、「なぜ」の疑念はぬぐえない…。こうした場面における判断基準について、警察には具体的なマニュアルが存在するのだろうか。
安沼氏は「具体的なマニュアルは見たことがない」と率直に語る。判断に迷った場合は、上司や刑事課員などに相談するというのが実態だという。
これは一見、心もとない話に聞こえるかもしれない。しかし、現場で遭遇する状況は千差万別であり、すべてをマニュアルで網羅することはそもそも不可能だ。人の発言の信ぴょう性を判断するという作業は、高度に文脈依存的であり、経験と勘が問われる領域でもある。
もっとも、だからこそ「誰に相談するか」「職場の雰囲気がどうか」という要素が、判断の質に直結してしまう。
安沼氏自身も、警察官になりたての頃に経験した不審者対応のエピソードを次のように振り返る。
「警察官になりたての頃、物陰から私のことをじっと見てくる不審者がいたので、応援要請しました。駆けつけたパトカー勤務員らと職務質問をしたところ、特に何も見つからず、ただの不審者で終わりました。
会話から軽度の知的障害を持っている印象を受けました。そのときに駆けつけた先輩方からは『こういうこともあるよ、気にすんな』と言ってくれる人もいれば、『ただのMD(精神障害者を示す警察の隠語)だろ、こんなんでいちいち呼ぶなよ』という人もいました。もし後者のような先輩ばかりだったら、私は仕事に消極的になっていたと思います」