《起訴祝いの宴席で飲む銘柄がサッポロの理由》《先輩から取り調べ術を聞き出す方法》実直すぎる「リーゼント刑事」が新人時代につかんだ酒との付き合いかた【連載「酒と人生」】

人のいるところに酒があり、酒のあるところにはドラマがある。酒との付き合い方を聞けばその人の生き方が見えてくるのではないか。酒場ライターの大竹聡氏がたずねていく。今回は「警察官と酒」の話をうかがった。【前後編の前編】【写真を見る】殺人犯が大号泣で自白…。 現役時代、お酒の席で学んだ「取り調べのコツ」とは?
* * * 人はどんなときに酒を飲むのか。なぜ、飲むのか。そして酒は、人の生活に何をもたらすのか。酒との付き合いが長くなるにつれ、ときどき、そんなことを思う。住む場所や職業が異なれば、それだけで人生はまるで別のものになる。同じ時代を生きているけれど、どんな人が何を考え、何に悩み、何に喜びを見出しながら生きているのか。想像するのは、たいへん困難なことだ。ましてや、まるで知らない人の酒と人生を想像するのは、実は雲をつかむような試みだ。それでも、みんな、どうしてる? と思う日が、たまにある。

 これが、酒と人生について語っていただくこのシリーズの聞き手としての、唯一の動機だ。そして今回は、42年間の警察人生を全うされた伝説の刑事、秋山博康さんにお会いすることができた。テレビ各局で放送される「警察24時」ものに最初に登場し、お茶の間にも広く知られるようになった「リーゼント刑事」である。

 お会いしたのは、御徒町にある「日本酒原価酒場 元祖わら屋」。全国の銘酒と土佐料理を安くおいしく出す店で、昼から開けている。午後3時の約束だったが、秋山さんは一足先に来られていた。 追いかける形になった私もさっそく生ビールを注文する。取材時の年齢は秋山さん65歳、私は62歳。昼酒が嬉しい60代は、元気よく乾杯したのだった。

「2021年3月に42年間勤めた徳島県警を定年退職し、退職後すぐに東京へ来ました。20年ほど前から『警察24時』に出てきましたので、東京のテレビ局の人たちから、引退後は東京で犯罪をなくす活動をしたらどうですかと誘われたのです」

 元刑事としてテレビでコメントを述べ、公式HPやYouTubeでも発信。各所での講演活動も行う。今年3月に発生した「京都府南丹市男児殺害・死体遺棄事件」発生時も、現場に入って捜査状況を調べ、解説するなど、元刑事の経験を生かした活動を行った。仕事の後の酒がなにより好きだという。

「はあ、うまい! 現職の頃は当直がありますから酒を抜く日があったけど、今は当直がない。定年して5年になるけど、毎日飲んでますよ(笑)」

 現役の頃、事件捜査を終えた飲み会で最初に飲むビールは、銘柄が決まっていたという。

「刑事は、被疑者を逮捕して、取り調べ、検察へ送致します。その後、検察で証拠を調べ、起訴か不起訴が決まる。起訴になると、当時の警察では起訴祝いをやりました。捜査本部を置いた所轄の会議室で祝杯を挙げる。そのとき、私はいつもサッポロビールで乾杯しました。サッポロビールのマークは星でしょ。ホシを挙げる、ということで、縁起を担ぐ。大きい事件のときは県警本部の刑事、所轄の刑事のほかに、検事や県警本部長まで来て、祝杯を挙げた。また、捜査本部が立つほどの事件ではなくても、所轄でも傷害、監禁、強制猥褻など、さまざまな事件を扱う。そんな事件のときも、起訴が決まったら、私は所轄の刑事たちと起訴祝いをやりました。警察署ではなくて、馴染みの店に行って乾杯をする。ここでも、乾杯のビールは星のマークのサッポロの瓶ビールと決めていた。起訴祝いの酒ほどうまい酒はありませんでしたね」

 秋山さんの語り口は爽快で、60代半ばとは思えない若々しさだ。警察官時代も、さぞや豪快な飲み方をされたのだろう。そう思って訊いてみると、意外なことに若いころはあまり飲まなかったという。

「私が10歳のとき、家に泥棒が入って、そのときやってきた刑事さんに憧れた。すぐに空手道場へ入り、高校では柔道をやりましてね。考えていたのは刑事になることだけ。昭和54年(1979年)に徳島県警に入って、警察学校、交番勤務、機動隊勤務を経て23歳でようやく刑事になりました。交番勤務の間も、休日返上で自転車泥棒を捕まえて刑事部屋に出入りしつつ自分の存在をアピールしたし、機動隊のときは刑事になりたいと機動隊長に直談判までして、やっと刑事になった。だから、1日も早く一人前の刑事になりたかったし、そのためには休んでいる暇はありませんでした。警察官舎に帰るのは風呂に入る日だけで、あとの日は配属された警察署の道場に泊まり込んで先輩たちの調書をかたっぱしから読みました。とても酒を飲む余裕はなかったし、あまり好きでもなかったんですよ」

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