ストーカーによる凄惨な事件は、なぜなくならないのか。なぜ被害者ばかりが人生を制限され、対策は追いつかないのか——。今回も、『「ストーカー」は何を考えているか』(小早川明子著、新潮新書刊)を手がかりに、考えてみたいと思います。【写真】ストーカー行為の背景にある、常識では考えられないある「感情」とは
小早川氏は、「ストーキングの心理的背景には、必ず被害者意識がある」と指摘します。
一度恋人同士になったとしても、どちらかの気持ちが変われば、交際を終わらせる権利があります。どこまで行っても、他人の心は思い通りにはできないもの。しかし、相手から別れを切り出されると、ストーカー化する人にとっては、こんなに愛しているのに、こんなに尽くしているのに、裏切られた、傷つけられた、といったような恨みになってしまう。
自分はあくまで傷つけられた側であり、「被害者だ」という強烈な思い込みがある。そこに客観性も道理も何もありません。自分が傷ついたから、傷つけてきたヤツが悪くて、傷つけられた自分は被害者なんです。その人の中では。
そんな歪んだ見方が前提になっているからこそ、自分を傷つけた相手の人生をめちゃくちゃにしてやる、という加害の動機になってしまうこともある。
強烈な被害者意識から、さらに相手の人生を何が何でもコントロールしようとするのも恐ろしい点だと思います。相手から別れを告げられても、一生友情関係を維持しろ、と主張したり、相手に新たに別の恋人や結婚相手ができると恨みを爆発させ、脅迫をしたりする。
これまでずっと理解できなかったのが、ストーカー事件が、元交際相手や元配偶者など、過去に恋愛関係だった相手への感情が恨みや憎しみになって起こるだけではなく、今も執着していたり、愛している相手、または一方的に好意を寄せる他人に対して起こることもあるということ。
相手との今後の関係の維持や発展を1ミリでも求めるなら、常識的に考えればストーカー行為なんて言語道断。百害あって一利なしというのは自明のはず。本当に、相手との関係の構築や再生を望んでいるのか……?
この疑問についての、答えとなる記述がありました。
彼らは往々にして、本当はまだ愛されているかも、と考えていますから、私が「嫌われていますよ」と言うと、「嘘だろう?」と抵抗します(中略)
——小早川 明子著、『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書刊)p.70より
本当に衝撃を受けました。そうか、ストーカー行為をしつつ、「まだ愛されているかも」と思っているのか……。
他にも、ストーカー行為をする側の心理状態をあらわす記述があります。
ストーキング依存症の加害者がよく口にする「自殺してほしい」「死体でもいいからそばにいて」という言葉は本心です。
——小早川 明子著、『「ストーカー」は何を考えているか』p.91より
ストーカーは相手に拒絶され、見捨てられたという被害者意識を味わい続けている。これは耐え難いもので、怒りで全身が持ちこたえられないほどです。
もう一分たりとも耐えられない、相手が生きているだけで屈辱に見舞われる。自分を拒絶した相手の存在は脅威であり、逃げ出したい——。ストーカーは解決法を考えます。それは相手に究極の敗北感を与えること。彼らにとって殺人は復讐であり、何より二度と屈辱を味わわずにすむ「解放」でもあるのです。
しかし、そうして相手を殺した途端に、今度は自分独りでは生きられない、と自殺してしまう。
——小早川 明子著、『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書刊)p.116より
もう、なにもかもがめちゃくちゃで、破綻している。正直、常識では到底理解などできません。ストーカーは、「自分が被害者だ」という前提に思考が支配されていて、だから相手は自分に謝罪し、自分の要求に応え、自分の意のままになる責任がある、と思っているということなのでしょう。もう前提から間違っているので、常識という概念は通用しないんだな、と思わざるをえません。