男闘呼組の4人をつないだ「長い長い謝罪メール」と東京ドームの「お別れ会」での再会

男闘呼組で一世を風靡(ふうび)した成田昭次は、2009年の逮捕をきっかけに芸能界を離れた。社会復帰後は材木業を皮切りに、工場勤務などに従事しながら静かな日常を送っていた。職場の飲み会で歌うのはサザンやゴダイゴ。かつての代表曲を口にすることはなかった。そんな元ボーカルの行方を、かつてのメンバーたちは必死に探し続けていた。※本稿は、成田昭次『人生はとんとん―成田昭次自叙伝―』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。【この記事の画像を見る】● 昭次は地に足をつけて働き 新たな生活を送っていた

 ある接着剤を作る化学工場の面接をしている時だった。自らお茶だしをしてくれた工場の社長が、昭次の顔を見て言った。

 「あれ!?男闘呼組の成田くんに似てない?」

 昭次の直感が働く。

 「初対面で、この人は苦手かもって思った人ほどいい人で、関係が長く続くってことがよくあるんです。裏表なく、最初にズバッと言ってくれる人って、信頼できたり、信用できるケースが多いというか」

 昭次は遅かれ早かれ気づかれるだろうと隠す気はなかった。そもそも履歴書に“成田昭二”と記入してある。ごまかしようがない。「似てるもなにも、その成田です」と答えようとすると、社長が続けた。

 「もし採用が決まったら10年は頑張ってもらいたい」

 後日、昭次はこの会社に採用される。

 工場勤務の朝も早かった。朝4時、5時に起きて出社、作業着に着替え働く。夕方4時、5時には仕事が終わる。

 昭次は、会社の新年会や忘年会に必ず出席した。同僚との飲み会にも。参考にしたのは、母や兄だった。

 「ふたりとも性格が明るくて社交的で。どれだけ友達いるんだよっていうくらい、すぐに誰とでも友達になっちゃう。そこは見習わないとなって」
材木屋時代、工場時代、飲み会の2次会は、馴染みのスナックでカラオケを歌うこともあった。マイクが回ってきたら、昭次は断らず歌った。

 「男闘呼組の曲は歌わなかったですけどね。年上の同僚も多かったんで、昔のサザンの曲だったり、小学生の時に聞いたゴダイゴを歌ったりしましたね」

 以前の芸能界に身を置いていた日々と比べれば、魅力的なイベントや、驚くような事件が起こるわけではない。ともすれば、“平凡”というひと言で片づけられそうな日々を、くさることも、嘆くこともせず、淡々と丁寧に昭次は過ごした。

● 「男闘呼組をもう一度見たい」 東山が連れてきた男の熱さ

 2014年、昭次が名古屋の工場で働き始め数年が経った頃、東京では運命の出会いがあった。

 「今から出てこれないか?健一に紹介したい人がいるんだ」

 東山紀之に誘われ、岡本健一(編集部注/俳優。男闘呼組のギタリスト)はタクシーに飛び乗り、指定された六本木のバーに向かった。

 店前で降車すると、スーツ姿の男が「こちらです」と健一を店にアテンドしてくれた。

 「お久しぶりです」

 東山に挨拶し健一が椅子に座ると、アテンドしてくれた男も席に座った。

 「おまえ、誰?」

 訝しがる健一に東山が言った。

 「谷川寛人くん。さっき言った紹介したい人だよ」

 スーツの男は、MISIAなどが所属する芸能事務所・リズメディアの社長であると自己紹介し、大きな夢があることを健一に告げた。

 「男闘呼組をもう一度見たいんです」

 この時、男闘呼組の活動休止から21年、昭次の事件から5年が経過していた。その言葉に健一の直感が反応する。

 「こいつとなら、いけるかもしれない」

 昭次がソロ活動時代に、「健一にとって振り返りたくない過去」だと思っていた男闘呼組は、健一にとって過去になどになってはいなかった。

 「たまにさ、男闘呼組の映像とか、なんかこう急に見たりとかすると、まあ、カッコいいっちゃ、カッコいいなみたいな。バンドっていいよなとかさ。なんか恥ずかしくないなって感じで。で、映像見てると思うわけ。当時、本当に音楽が好きで、男闘呼組が好きで、この4人は集まってたんだなって」

 健一が3人と距離を取っていたのには理由があった。

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