ホルムズ海峡封鎖危機で強まった日本の「アメリカ頼み」/対米追従を選んだのは日本国民だ/高市早苗と田中角栄の違い

イランのホルムズ海峡が封鎖され「石油が輸入できない」という話が出て1カ月が過ぎた。輸入の8割以上を中東の湾岸地域に頼っている我が国としては、第2の石油ショックである。【この記事の他の画像を見る】2026年4月8日、アメリカとイランは2週間の停戦で合意した一方で、原油市場は極めて平静だった。1973年の第1次オイルショック当時と比べて、備蓄や供給先の確保において進歩したからであろうか。

■第1次オイルショックに対応した田中角栄首相
同時に、当時の田中角栄首相のことを思い出した。26年3月に訪米した高市早苗首相のトランプ大統領との会談を見ると、ある種、昔に戻った悲しさに包まれる。床に這いつくばるほどの卑屈な態度と、顔にもうかがえる媚態。多くの国民はこれをとても恥ずかしいことだと感じたはずである。それは、53年前の田中首相がアメリカのキッシンジャー国務長官との会談で見せた態度と真逆だったためだ。

 しかし気になるのは、こうした卑屈な従属的国家を再び生み出したのが73年の石油ショックだったということだ。
石油ショックの時代は「平民宰相」田中角栄の時代だった。その行動という点では、高市首相とはまったく異なっていた。田中は、即決と行動の人であった。72年の訪中を決断しただけでなく、アメリカに日本経済が依存しすぎることを懸念した人物だったのだ。

 田中角栄がそれまでと違っていたことは、アメリカ依存の体質を変えようとしたことであろう。しかしこれがアメリカの逆鱗に触れ、アメリカでは些末な事件であったロッキード事件によって失脚し、元首相として逮捕されるという事態を招いた。それが日本の政治家にアメリカという国への恐怖を植え付け、再び日本の戦後の屈従的態度は元に戻るのだ。
その後続く中曽根康弘政権、そして小泉純一郎政権という親米政権は、日本の従属化をより強める結果になったのである。

 その意味で高市政権の睥睨(へいげい)外交は、まさに田中の失敗によってのまされた敗戦国日本の象徴といえるかもしれない。田中と安倍を除けば、八面六臂で勇気を持って独立外交政策を断行した政権はいなかったともいえる。

 ここに1冊の本がある。ノンフィクション作家の柳田邦男(1936年〜)による『狼がやってきた日』(文春文庫、79年)である。これは73年の石油ショック当時から5年後に振り返って書かれたルポルタージュだが、その年に「狼」(エネルギー危機、後進諸国の反撃)がやってきたというのだ。

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