東日本大震災の翌日に起こった殺人事件で逝った娘…悲しみや怒り、後悔と向き合い「生きた証を伝えたい」と体験を語り続けてきた父の15年間

徳島被害者支援センターで理事を務める徳島市の清家(きよか)政明さん(77)は毎年3月11日の東日本大震災の発生日が近づくと、心が揺らぐ。当時36歳の娘が被災地にボランティアに行こうとした矢先、京都市の勤務先の薬局で殺人事件に巻き込まれて亡くなったのだ。思い出されるのは、娘から送られた一通のメールだ。【写真】1974年に長女として生まれた千鶴さん=清家さん提供
「できたら日を改められませんか? ばあちゃんや母上も心配するよ。もちろん私も。頼んます」
15年前の3月12日午前2時、清家さんに長女・千鶴(ちづ)さんからメールが届いた。地震の影響で徳島県内に大津波警報が発令されており、広島県福山市に行く用事があった清家さんを案じたものだった。予定を取りやめると伝えると、午前8時過ぎに返信があった。
「やれやれ安心しました。こちらは通常勤務です」
清家さんは車通勤の千鶴さんを案じ、「天変地異、なにがあってもおかしくない状態です。運転には気をつけてください」とメールした。千鶴さんにかけた最後の言葉になった。
翌13日、京都府警川端署に来署するよう親族を通じて連絡があった。駆けつけた同署で、前日に千鶴さんが亡くなったことを知らされた。部下の男(当時30歳)が職場で千鶴さんを刺殺した殺人容疑で緊急逮捕されていた。男は「世の中が嫌になって誰かを殺そうと思った。(千鶴さんに)恨みがあったわけではない」と供述したという。清家さんはその場に立ち尽くした。その後の経過はあまり覚えていない。
千鶴さんは1974年に徳島市で長女として生まれた。「鶴のように千年も幸せに長生きしてほしい」との願いを込めた。幼い頃から活発な性格で、小学生の頃から合唱に打ち込み、リーダー役をよく務めてきた。3人きょうだいのまとめ役だった。
千鶴さんは「薬を作って人の役に立ちたい」と京都薬科大に進学した。卒業後は薬剤師として働き、薬局の店長を任されるまでになった。仕事に打ち込む姿に清家さんは結婚の心配をしていたが、2007年、職場の同僚と結婚した。

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