第1回【「オイチニ」の掛け声で淡々と走り去った2人、実は脱獄囚だった…警察のミス多発、最初から最後まで珍妙すぎる「昭和の大脱走」】を読む【写真】「7人のイラン人」も旧東京拘置所で…96年に梯子で越えた「高い塀」実際の写真昭和52(1977)年3月2日午後、群馬県の前橋刑務所から27歳の男2人が脱走した。2日後に逮捕されたものの、2人がマラソンを装って刑務所から離れたり、便乗強盗の発生に激怒したり、警察の大包囲網が空振りに終わったりと、どこかブラックコメディドラマのようなエピソードが続々と――。携帯電話もネットも普及していない時代の“大脱走”を、「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。
(全2回の第2回:以下「週刊新潮」1977年3月17日号「テレビより面白かった前橋刑務所『脱獄囚』の計画と逃走劇」を再編集しました。文中の年齢等は掲載時のままです)
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あとでわかったことだが、強盗を「脱獄囚の犯行と断定」というニュースが報じられたとき、後藤と田中は千葉県我孫子市内を走る車の中で、カーラジオに耳を傾けていたという。
「オレたちじゃない。誰か、ドサクサまぎれに便乗しやがったんだ。チクショウ……」
実は2日の夜、彼らは木工団地に潜伏せず、ひたすら逃げて3キロばかり離れた野原の中の作業小屋にたどりついた。そこにあったインスタントラーメンを食べ、作業服と黄色いヘルメットを盗み、また逃走。小川の堤防の笹やぶの中で夜を明かし、3日の昼間は動かず、夕方になってから付近でホンダの軽自動車を盗んで走った。
しかし、大渡橋の交番前でエンジントラブル。軽自動車を捨てて、トヨタのコロナに乗りかえた。そのとき交番には人の姿がなかったらしい。2人は狭い裏道を選んで走り、桐生市に出た。自動販売機のカンビールを買って飲んだ。
2〜3時間ほど休んだあと、夜通し走って栃木県足利市と宇都宮市を通り、4日朝には茨城県水戸市に着いていた。運転は後藤だが、強度の近眼なのに眼鏡はかけていない。よくも事故を起こさなかったものだ。そして国道6号線(水戸街道)を走り東京に向かう途中、千葉県我孫子市で濡れ衣のニュースを聞いたのである。