神奈川県警が交通違反を不正に取り締まっていたとして県警本部長が謝罪した。桜美林大学准教授の西山守さんは「これは不正を働いた警察官個人の問題でも、組織の問題でもない。SNS上で表出していた『間違った正義感』がいよいよ現実にも振りかざされた、特殊な事案だ」という――。【この記事の画像を見る】■不正取り締まりの動機は「間違った正義感」
神奈川県警で大規模な不正が発覚した。
交通違反取り締まりなどにおいて不適切な捜査や証拠処理が行われていたことが発覚したことを受け、神奈川県警の今村剛本部長は臨時記者会見を開き、2716件の交通違反を取り消し、交通反則金約3400万円を返還することを発表し、謝罪した。
注目すべきなのは、不正を主導した巡査部長(懲戒免職)は、成績優秀者として表彰されたこともある有能な人物であったという点だ。巡査部長は県警の調べに対して、「一件でも多く取り締まりたかった。間違った正義感だった」と述べているという。
成果を上げているように見せかけるために不正を働いてしまうというというのは、さほど珍しいことではない。しかしながら今回の不正は、必ずしも自分の評価や利益を上げるために行われたというわけではないようだ。
また、不正行為は巡査部長個人ではなく、小隊単位7名が2022年3月〜2024年12月の約2年半にわたって行われている。ここまでの範囲、期間で行われていたことを考えると、もはや「個人の問題」でもなければ、「神奈川県警」という一組織の問題とも言うことはできない。
本問題について、社会的風潮と組織ガバナンスの問題からアプローチしてみたい。
■「間違った正義感」は現代社会のキーワード
不正を主導した巡査部長が発したという「間違った正義感」という言葉は、現代社会を象徴するキーワードであると思う。実際、本事件を報じた記事の見出しにもこの言葉が躍っていた。
最近、外国人やジェンダー、政治に関するヘイトスピーチや、学校でのいじめや暴行に対する個人情報の特定、さらし行為、誹謗中傷行為が問題になっているが、これも「間違った正義感」の表出と言える。
今年の1月、トランプ米大統領がベネズエラへの攻撃に際して「私には国際法は必要ない」「私を止められるのは私自身の道徳だけだ。私の心だ」とニューヨークタイムズの取材で述べている。
「正しいことを行っているのだから、法律に従う必要はない」という発想は、トランプ大統領に限らず、現在社会全体に広まりつつあるように思える。
学校でのいじめ、暴行問題にしても、SNS上では「学校や警察が対応してくれないから、ネットに晒すしかない」という、ネットリンチを推奨、容認するような声が蔓延している状況だ。
■無実の人を処罰する「末期的症状」
神奈川県警の不正取り締まり問題に話を戻そう。警察は国家権力を後ろ盾にした公的機関であることは言うまでもない。そんな誰よりも法に基づいて職務を遂行すべき警察機関の職員が「正義感」の名のもとに違法行為を行っていたのは、由々しき問題だ。大げさかもしれないが、末期的症状にあると言って良いのではないかと思う。
社会が揺れ動く中で法律やルールに対する信頼感が揺らいでいるが、そこを踏み外してしまうと、無実の人が処罰されたり、問題を起こした人が必要以上に断罪されてしまったりすることにつながりかねない。
日本の警察は諸外国と比べると腐敗が少ないほうだ。新興国に行くと、警察官が犯罪組織と結託していることもあるし、市民に賄賂を求めてくることもある。一昔前の東南アジア諸国のガイドブックには「現地の警察官は信用しないように」という注意書きが記されていたほどだ。
先進国のアメリカでも、無実の人を警察官が射殺するといったことは普通に起きている。最近では、移民税関捜査局(ICE)が移民を殺害する事件も起こっている。
もちろん、国によって実態はさまざまだが、日本の警察は、海外と比べてもまだ健全と言えるのではないかと思う。しかしながら、今回のようなことが起きてしまうと、警察、さらには公的機関に対する信頼性が大きく揺らいでしまうのではないだろうか。
偶然ながら、山形県内の消防職員が狂言強盗で逮捕されるという事件も同時期に起きている。公的組織の信頼性が揺らいでしまうことは、日本社会の秩序という点から見ても好ましいことではない。