ベネズエラ攻撃・グリーンランド領有・ウクライナ侵攻・台湾統一……トランプ、プーチン、習近平らストロングマンたちの傍若無人がまかり通る「荒れ野時代」がやってきた。【画像】オバマ元大統領がかつて全米に生中継で語った「世界の命運」…冷戦後の「米一極」の流れ変える「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」
『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(講談社現代新書)では、共同通信社の国際ジャーナリスト、川北省吾さんが、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答えとは?
2013年9月10日、残暑の続くアメリカ合衆国の首都ワシントン。世界の命運を左右するパワーセンター、ホワイトハウス(大統領官邸)の「イーストルーム(東の間)」には興奮が渦巻いていた。
ホワイトハウスで最も広い儀典室。壁には初代大統領ジョージ・ワシントンの肖像画が飾られ、歴史の重みを感じさせる。国賓歓迎や条約調印をはじめ、重要な国家行事の場として利用されてきた。
この夜、第44代大統領バラク・オバマがこの部屋から、国民向けに演説することになっていた。「プライムタイム」と呼ばれるテレビの高視聴率帯。記者たちの期待はいやが上にも高まっていた。
午後9時。白い円柱が並ぶ廊下の赤じゅうたんを踏みしめ、オバマが部屋に近づいてきた。演壇に立つと、カメラを真っすぐ見つめて口を開く。「皆さん、今夜はシリアについてお話ししたいと思います」
オバマはなぜ、遠く離れた中東のシリアについて話をする必要があったのか。演説の内容を紹介する前に、その点を押さえておく必要があるだろう。きっかけは3年近く前の出来事にさかのぼる。
地中海の対岸にイタリアを望む北アフリカのチュニジア。古代の都市国家カルタゴの残り香を漂わせる首都チュニスから200kmほど南に下ると、シディブジドというさびれた町がある。
チュニスのような沿岸部と比べ、開発の遅れた内陸部。2010年12月17日、人口5万人ほどのこの町で、26歳の若者が公衆の面前で自らの体に火を放ち、焼身自殺を図る事件が起きた。
彼の名はモハメド・ブアジジ。果物や野菜を売り歩く露天商だった。この日、役人から営業許可を得ていないことをとがめられ、罰金を払って収めようとしたが、商売道具の秤や商品を没収された。
返却を求めて役所に出向いたが、取り合ってもらえない。多くの人が見ている前で面罵され、役人に殴打されたとの証言もある。妹のサミアは後に「モハメドは辱めを受けた」と米紙に語った。
シディブジドの当時の失業率は30%。幼い頃に父親を亡くしたモハメドに仕事を選ぶ余裕などなかった。露天商をして母親やきょうだいを養いながら、お金をためて車を買いたいと夢見ていた。
賄賂が払えなかったため、営業が認められなかったとも言われている。庶民の苦しみに目もくれず、居丈高に振る舞い、恥辱を与える役人たち。希望の持てない日々を過ごしていた彼の中で何かが壊れた。
モハメドは17日の昼、役所の前でガソリンを全身に浴び、抗議の焼身自殺を図る。焼けただれた体で横たわり、病院に搬送される様子を、駆け付けた親類がスマートフォンで撮影し、フェイスブックに投稿した。
それが全ての始まりだった。動画はソーシャルメディアで拡散され、「アラブのCNN」と言われる衛星テレビのアルジャジーラで放映される。事件は瞬く間にチュニジア全土に広がった。
ニュースを知った民衆は怒りを爆発させる。とりわけ、満足な仕事に就けず、将来に夢を持てない若者の憤りは大きかった。民主化を要求するデモが燎原の火のように各地に燃え広がった。
巨大なうねりに抗しきれず、大統領のジン・アビディン・ベンアリは11年1月14日、サウジアラビアへ逃亡した。民衆の怒りが20年以上に及ぶ強権支配を倒したのだ。チュニジアの国花にちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれた。
「ジャスミン革命」に端を発した民主化運動は国境を越え、中東・北アフリカのほぼ全域に広がっていく。長期独裁を敷くエジプトのムバラク政権やリビアのカダフィ政権を崩壊に追い込み、「アラブの春」と呼ばれた。
「春」はシリアにも訪れた。異なる民族や宗派が混在する「モザイク国家」。頂点に君臨するアサド家は父親ハフェズから次男バッシャールに至る40年にわたり、2000万人以上の民衆を抑え込んできた。
イスラム教スンニ派が7割を超すシリアで、アサド家は人口の10%余りに過ぎないアラウィ派。権力の中枢を同じ宗派で固め、鉄の支配を敷いてきたが、堅固な王朝にも火の手は迫っていた。