口を割らぬ海軍スパイ吉川猛夫、FBI捜査の鍵を握った運転手。渦巻く不信、筒抜けだった偵察活動。なぜアメリカは摘発できなかったのか 【連載・真珠湾スパイの内幕(3)】

日米開戦を前にハワイに送り込まれた日本海軍のスパイ吉川猛夫は、運転手の三上嘉会と共に真珠湾や各基地を偵察、情報の精度を高めていった。ただ、吉川は機密保持のため、自身の身分と任務を三上や在ホノルル日本総領事館員に明かさず、周囲は吉川に対する不信を強めていった。共同通信が入手した、三上を聴取したアメリカ連邦捜査局(FBI)の捜査資料からは、吉川との生々しい人間関係も浮かび上がる。

 吉川に目を付けながら摘発に至らなかったアメリカ。吉川が自白しない中、三上の口を割ることが捜査の鍵となった。(敬称略、共同通信=新里環)
 ▽渦巻く不信

 「昼間の表向きの仕事をすませて、出かける。夜は、下町に出て町に氾濫する白服の水兵を物色していっしょに酒を飲む。深夜に帰ってただゴロリと寝る」(吉川の著書より)。情報収集に明け暮れた吉川は、機密保持のため、本来の身分や任務を周囲に隠していた。事情を知らない総領事館の職員らは、遊んでばかりに見える吉川に対して厳しい目線を注いだ。
アメリカ海軍出身のジャーナリスト、ロバート・B・スティネットの著書「真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々」によると吉川は1941年8月、「最初の爆撃地図報告の完成を祝って、ホノルルのバー、数軒をまわってどんちゃん騒ぎした。バーが閉店になった直後の午前2時17分、泥酔したところを警官に保護された」。騒ぎを聞き付けた地元紙の記者が総領事館に確認の電話をし、海軍がそれを盗聴していたという。

 アメリカ上下両院の「真珠湾攻撃合同調査委員会」がまとめた調査報告書によると、職員らは酔っぱらった吉川の姿を頻繁に目にした。総領事館の敷地にある官舎に女性を連れ込んで夜通し過ごし、昼まで寝ていることがたびたびあった。総領事に暴言を吐くこともあり「自身はとがめられることがないかのように振る舞っていた」。
 一方、戦後に吉川へ取材したアメリカの歴史学者ゴードン・W・プランゲは著書「At dawn we slept(真珠湾は眠っていたか)」で、吉川がこうした振る舞いについて「本来の任務から疑いをそらすため、総領事の了解を得て『酒飲みの女たらし』というイメージを植え付けた」と語っていたと記している。

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