「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年でした」。2016年に東京都小金井市のライブ会場でファンに刺され、一時重体となった冨田真由さんは、事件後の日々をそう振り返る。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と後遺症に耐えながら、ストーカーによる凶行を防げなかった警視庁などの責任を明らかにしたいと裁判を続けてきた。
今年7月28日、ようやく迎えた裁判の結末は、再発防止に向けた対策強化と見舞金支払いという「勝訴的和解」(代理人弁護士)だった。冨田さんはどんな思いで闘ってきたのか。共同通信に寄せた手記をご本人の了解を得て、全文公開する。(取材・構成 共同通信=山脇絵里子)
▽「殺されるかもしれない」
事件が起きたのは2016年5月21日。当時大学3年で音楽活動をしていた冨田さんはライブハウス前の路上でファンの男に首や胸などを刺され、一時は生死をさまよった。その12日前、男が一方的にプレゼントを送りつけ、SNSに執拗な書き込みをすることに恐怖を感じ、警視庁武蔵野署を訪れて相談していたが、署は「切迫性がない」と判断して本部のストーカー専門部署に報告していなかった。
警視庁は事件後、「安全を早急に確保する必要があると判断すべき事案だった」との検証結果を公表し、謝罪した。ただ、冨田さんが「男に殺されるかもしれない」と訴えていたことは「聞いていない」と否定した。
2019年7月、冨田さんは警視庁が会場周辺の見回りなどを怠ったとして、東京都などに損害賠償を求め、提訴に踏み切った。
▽心えぐられた証人尋問(手記より)
事件に遭う前に相談していた武蔵野署の担当者から直接、話を聞きたい。警察の対応のずさんさが明らかにされることで、ストーカー行為への認識や対応がさらに変わってほしい。そして、同じような事件がひとつでもなくなり、ひとりでも多くの人が救われるきっかけになってほしい。そう願い、提訴することを決めました。裁判当初、私は正義感や使命感、そんな強い気持ちに満ちていたように思います。
警察は、はなから非を認める気はなかった。6年間続いた裁判の中で、一番感じたことです。書面でのやり取りを通して返ってくる不誠実な答え。真実を述べることを誓う法廷で、真実を装って語られる作り話。非を認めるどころか、必死に身を守ろうとする姿をずっと見てきました。裁判が進むたびに、やるせなさを痛感する。それはとてもつらい時間で、覚悟を決めてはいたけれど、強い気持ちを持ち続けることは難しかったです。