東京地検特捜部長、最高検次長検事など検察の枢要な職を歴任した伊藤鉄男さん(77)。今週、著書『検事の心得』を中央公論新社から出版した。【写真】元特捜部長「検察官は“神”ではない」インタビューの前編では、捜査や証拠が「おかしい」と思ったならば、検察官は自ら再審請求をするべきだという異例とも言える提言を紹介した。後編では、検察官が果たすべき役割について、「東京電力女性社員殺害事件」や「足利事件」「福知山線脱線事故」を引き合いに思いを語っている。
東京電力の女性社員が東京都渋谷区円山町のアパートの一室で何者かに殺害された事件で、1997年、東京地検刑事部はネパール人男性を起訴した。
いくつもの状況証拠があるなか、容疑者は、その女性と面識があったことさえ否定し、それは明らかにウソだった。直接証拠はなかったが、そのままネパールに帰国するのを許せば、捜査の手を届かせることが不可能になる。難しい判断だったが、刑事部副部長だった伊藤さんは、警視庁が逮捕するのにゴーサインを出し、起訴を決裁した。
一審は無罪だったが、控訴審で覆り、無期懲役の判決が2003年に最高裁で確定した。しかし、その後、DNA鑑定の技術が進歩して、別人が現場にいた可能性が出てきたため、再審が行われて無罪となった。
この事件について、伊藤鉄男さんは『検事の心得』に、「今でも、起訴したことが間違いだったとは思わない」と記した(108ページ)。
『「風雪に耐える捜査」とは、困難から逃げることではない。
(中略)
堂々と裁判所で戦うべきと思う。そのために刑事裁判はあるのだ』
もしネパール人男性を逮捕も起訴もせずにいたとすれば、それこそ、無罪を恐れて楽な選択に逃げ込む、恥ずかしい事件処理だった、ということなのだろう。
「検事が神である必要は全然ない。検事の声が天の声なんて思う必要はない。3審制で決着をつけようっていうのが今の裁判制度で、その上、再審制度もある。だから検事は100%の心証がなければ起訴しちゃいけないなんてことは僕はないと思ってる。(中略)それは検事に託された務めみたいなものだから」
インタビューに伊藤さんはそう語った。