山東京伝も処された、江戸の刑罰「手鎖」とは?|江戸の名誉刑【日本史ことば解説】

大河ドラマや時代劇を観ていると、現代では使うことなどない言葉が多く出てきます。その言葉の意味を正しく理解していなくとも、場面展開から大方の意味はわかるので、それなりに面白くは観られるでしょう。写真はこちらから→山東京伝も処された、江戸の刑罰「手鎖」とは?|江戸の名誉刑【日本史ことば解説】しかし、セリフの中に出てくる歴史用語をわかったつもりで観るのと、深く理解して鑑賞するのとでは、その番組の面白さは格段に違ってくるのではないでしょうか?

【日本史ことば解説】では、「時代劇をもっと面白く」をテーマに、大河ドラマや時代劇に登場する様々な言葉を取り上げ、具体的な例とともに解説して参ります。時代劇鑑賞のお供としていただけたら幸いです。

さて、今回は「手鎖」(てじょう)をご紹介します。

江戸時代には、現代の懲役や罰金とは異なる、刑罰制度が存在しました。その中の一つが「手鎖」です。庶民に科される軽微な刑罰でありながら、恥辱と不自由をともなうこの処分は、江戸社会における秩序維持の象徴でもありました。

大河ドラマ『べらぼう』にも登場するこの言葉を通して、当時の刑罰観や社会背景をひも解いていきましょう。
「手鎖」とは、江戸時代に庶民に科された刑罰の一種です。鉄製の瓢箪(ひょうたん)型の手錠を用いて、罪人の両手を前で拘束し、その中央部分に和紙を貼って封印、奉行所の印を押すことで処罰が成立しました。

手鎖には大きく分けて以下の2種類があります。

◆吟味中手鎖
裁判中の被疑者に施す拘束措置。牢に入れず、親類や町役人の監督下で拘束されることもありました。

◆過怠手鎖(「咎め手鎖」ともいう)
刑罰として正式に言い渡されるもの。過料(罰金)を支払えない庶民に科され、30日・50日・100日の等級がありました。

封印の紙は定期的に奉行所で検査され、50日手鎖では5日ごと、100日手鎖では隔日で「封印改め」が行われていました。

なお、過怠手鎖を勝手に外した人は定められた日数が2倍となり、助けた人は過料刑に処されました。吟味中手鎖の場合は、100日の手鎖が科されました。

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