岡本公三容疑者「国際テロリスト」「アラブの英雄」非難と称賛を浴びた岡本公三、最期は眠るように パレスチナ解放の夢かなわず、時代に翻弄された男に見た悲哀

かつて世界を震え上がらせた「革命戦士」が中東の地レバノンで亡くなった。最期は眠るように静かに息を引き取ったという。日本赤軍メンバーの岡本公三容疑者が波乱の生涯に幕を閉じた。78歳だった。「国際テロリスト」「アラブの英雄」。1972年に起きたイスラエルの空港乱射事件の実行犯とされ、非難と称賛を浴びた男の素顔は、どんなものだったのか。「戦士」との出会いで垣間見えたのは、時代に翻弄された革命家の悲哀だった。(共同通信編集委員=三井潔)【写真】1997年6月、ベイルート地裁で開かれた初公判でガッツポーズする日本赤軍の岡本公三容疑者
▽消えていた覇気

 100人以上が死傷した乱射事件から44年たった2016年5月。岡本容疑者と、政治亡命先のレバノンの首都ベイルートにあるマンションの一室で向き合った。生活を支える「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」の警護役数人が無言で囲む緊張した中、穏やかな表情で出迎えてくれた。

 握手を交わしたが、手は細く弱々しかった。「戦士」の覇気は消えていた。事件後に拘束されたイスラエル当局の過酷な調べで患った統合失調症が悪化し、リハビリを続けていた。
 「銃床で殴られ怖かった」。拷問の記憶は鮮明だが、乱射事件の目的や国際手配中のメンバーの思い出、混迷する中東情勢を問うても、頭を抱えて言葉が出てなかった。

 唯一救いを感じたのは、乱射事件の犠牲者の大半がプエルトリコ人の巡礼者だったことに謝罪した時だ。それまでは「敵の基地にいたのだから巻き込まれて当然」という理屈で謝罪を拒んでいたからだ。

 数奇な歩みだ。
岡本容疑者は熊本県出身。兄は日本赤軍の前身だった共産主義者同盟赤軍派の活動家で、1970年に日航機よど号ハイジャック事件メンバーで北朝鮮に渡った。

 岡本容疑者は鹿児島大在学中の72年2月、レバノンに向け出国した。連合赤軍による「あさま山荘事件」で世間が騒然としている時だった。

 その年の5月30日、イスラエル・テルアビブの空港で、他のメンバー2人と自動小銃を乱射して20人以上を殺害。イスラエル当局に逮捕された。
 日本赤軍メンバー2人は、乱射事件の際に死亡した。

 「われわれ3人の戦士は死んでオリオン座の三つの星になる」

 事件後の岡本容疑者は、自爆覚悟だったことを明言し、自死できなかったのを悔やんでいた。勾留中も何度も自殺を図ったという。
 世界同時革命を目指し、中東に国際根拠地を築く方針を立てた重信房子元最高幹部が率いた日本赤軍にとって、乱射事件は「組織の前史の闘争」と位置づけられている。

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