全東信はなぜ破綻したのか?金融機関がざわついた「8年前の180億円買収」

2026年7月6日、大阪に本社を置く決済代行業者の全東信が突如として破産手続きを申し立てた。加盟店は20万社ともいわれ、倒産時点の取引金融機関は60行に及ぶ。破綻の余波は今後も長期化するとみられている。「青天の霹靂(へきれき)」と見られたこの倒産だったが、2018年には、すでに経営上のほころびが表面化していた。(帝国データバンク情報統括部情報編集課長 白浜雄介)【この記事の画像を見る】● 「資金繰りにおける空白」を 埋めるサービスで急速に普及

 全東信は、1987年に創業した全東信飲食事業協同組合の関連会社として、2006年9月に設立された。全東信飲食事業協同組合は設立当初、大阪・ミナミの飲食店、とりわけスナックや居酒屋などの夜間営業店を対象に、食材を中心とした共同購入事業を展開。制服などの衣料品や什器、消耗品などの調達を斡旋し、加盟店の経営支援を行っていた。

 その後はクレジットカード決済代行をはじめとする金融関連事業へと軸足を移し、全東信グループの事業基盤を築いていった。

 クレジットカード利用の普及に伴い、経営基盤の不安定な飲食店や個人店では、売り上げ発生からカード会社による入金までの時間差が資金繰りを圧迫する要因となっていた。全東信はこうした資金繰り上の空白を埋めるサービスを提供し、急速に普及した。

 さらに、信用力が十分でない店舗でもクレジットカード決済を利用できる仕組みを展開し、カード会社の手の回っていない市場を取り込むことで独自の地位を確立した。
● 100近い金融機関が 全東信と取引した背景

 全東信の倒産後、加盟店への未入金被害が数多く報道されている。だが、もうひとつの大きな被害者である金融機関との関係にも目を向ける必要がある。金融業を営む全東信にとって、資金は利益を生み出す商品そのものであり、金融機関はその供給元にあたる。そのため、2018年頃には100近い金融機関と取引関係を構築していたとされる。

 では、なぜこの時期に金融機関は全東信への融資を拡大したのだろうか。その背景には、低金利環境と地域金融機関が抱える構造的な課題があった。

 現在は金利上昇局面にあるが、当時はマイナス金利政策の最中であり、金融機関は低金利での融資を余儀なくされていた。その結果、一般企業向け融資だけでは十分な収益を確保しにくい状況が続いていた。

 一方、全東信向け融資では一般企業の数倍の金利条件を設定することができ、融資額についても「貸してくれるならいくらでも借りる」という積極的な借り入れ姿勢を示していた。そのため、全東信は低金利環境下で収益機会を提供する重要な融資先として認識されていた。

 当時を知るある信用金庫関係者は次のように振り返る。

 「全東信の担当者がアポイントなしで支店を訪れ、A3用紙にまとめられた100行近い取引金融機関一覧を示して数億円単位の融資を打診してきましたよ。そうやって取引行を増やしていたのかもしれません」

 この信用金庫は融資を行わなかったが、低金利時代に金融機関にとって好条件の融資を求める全東信に対し、取引金融機関が増加したのは自然な流れだったといえる。

 また、地方の人口減少による融資先不足という問題も、全東信への融資を後押しした。

 大阪には、多くの地方金融機関が支店を展開している。地方では融資先が限られるため、大都市圏の支店には地元で集めた預金を運用する役割が求められている。一方で都市部では金融機関同士の競争が激しく、オーバーバンキング状態による金利競争も進んでいた。

 そのような状況のなか、新規開拓の手間が少なく、大口融資が見込める全東信は、多くの地方金融機関にとって魅力的な運用先として映っていた。これらの条件が重なり合い、全東信の金融機関との取引環境は形作られていった。

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