依存症は、条件がそろえば、誰がなってもおかしくない病気とされる。ところが日本では、本人の性格や意志の弱さの問題だと受け止められる風潮がある。啓発では依存症の危険性ばかりを強調するのではなく、偏見を払拭し、回復への道筋を示せるかどうかが鍵となる。
今年1月、依存症の相談・啓発の拠点となる「大阪依存症対策センター」(仮称、2029年度開設予定)の設置準備を進める大阪府・市で、出ばなをくじくような出来事が起きた。府・市が公開したギャンブル依存症の啓発動画が「炎上」。支援団体や医療関係者の抗議を受け、1週間で動画を取り下げる事態となった。
動画では、主人公の高校生「ギャン太郎」が、「ラクして生きる人生見つけたかも」と違法なオンラインカジノにのめり込む。抜け出せなくなったギャン太郎はカウンセラーに相談し、「自分の中の『鬼』に勝つ」と誓う――。
こうした表現が、「依存症になる人は怠け者」「根性論で克服できる」といった誤解や偏見を助長しかねないとの批判を浴びた。
この動画は、公募で選ばれた大阪市の制作会社が手がけた。府依存症対策グループによると、6事業者の企画提案から最高得点で選ばれたが、府が委嘱した3人の選定委員は広報プロモーションや法律が専門で、依存症の専門家はいなかった。制作の過程で依存症の支援者や当事者の意見を聞く機会もなかった。
府幹部は「若者に刺さる『とがった表現』を意識するあまり、全体的に当事者への配慮が欠けてしまった」と振り返る。
酒や薬物、ギャンブルは、趣味や嗜好(しこう)と関連があるため、依存症になるのは「自己責任」との見方が根強い。実際、内閣府のアルコール依存症に関する世論調査(23年)では、34・7%が「本人の意志が弱いだけで、性格的な問題」と回答した。
一方、医療や支援の現場では、米国の精神科医が1980年代に提唱した考え方が定説となっている。
依存症は「楽をする」「楽しむ」ではなく、職場のストレスや家庭環境、過去のトラウマ体験や貧困などが背景にある、というものだ。悩みを抱えた人がアルコールや薬物、ギャンブルと出会うと、最初は脳内で快楽物質であるドーパミンが分泌されて「痛み止め」になるが、依存状態になると自分の意志でやめるのは難しくなる。