1976年10月、東京地検の新任検事だった大野恒太郎(74)は、地検の一室に呼ばれ、上司にある英文調書を和訳するよう指示された。ページをめくると、「Lockheed(ロッキード)」の文字が目に入った。
東京地検特捜部が元首相の田中角栄を摘発したロッキード事件。大野に渡されたのは、日本側への贈賄工作を証言した米ロッキード社元日本支社長の嘱託尋問調書だった。
検察は国内で180人以上に事情聴取したほか、ロ社幹部の証言を得るため、公判前の証人尋問を東京地裁に請求。これを受けて、地裁が米国の裁判所に証人尋問を嘱託した。検察は証言を拒否するロ社幹部の供述を得るため、「証言内容については起訴しない」と約束する前例のない対応を取った。
同期の検事と2人で2週間かけて翻訳する中、大野は疑問を抱いた。日本でも憲法で黙秘権が保障されているのに、証人が拒否した場合にも証言を得るための刑事免責や、供述の見返りに処分の減免を約束する司法取引の制度がない。「刑事司法の死角だ。黙秘権が広く行使されるようになれば捜査できなくなるのではないか」と感じた。
95年2月。最高裁大法廷は贈賄側被告らの判決で、嘱託尋問調書の証拠能力を否定した。「日本では刑事免責を付与して得られた供述を証拠とすることは許されない」。「5億円の収賄」という「首相の犯罪」を認定した決め手は、それ以外の関係者の供述調書などだった。
大野は言う。「取り調べで作成した供述調書に依存する捜査手法が、レガシー(遺産)として神話的な地位を得た。一方、刑事免責など諸外国で認められている先進的な捜査手法の導入は棚上げされてしまった」
特捜部はその後も、政界の不正に次々と切り込み、「最強の捜査機関」と呼ばれるようになった。
2000年代に入ると、供述調書に依存した特捜部の捜査手法は強引な取り調べを生むなど行き詰まりを見せ始める。検察は、捜査の新たな武器を必要とし、日本版「司法取引」などの導入が16年に決まった。田中の摘発から40年近くたっていた。