〈山形マット死事件から33年〉「本当にこれが人間のやったことなのか…」父の悲痛な叫び…元生徒3人は1億円超の賠償拒み謝罪もせず「この次の10年まで僕生きてんのか」

1993年、山形県新庄市の旧明倫中学校で、1年生の児玉有平さん(当時13)が丸めて立てられた体育用マットに逆さに押し込まれ亡くなった事件があった。いじめによる犯行として監禁致死や傷害容疑などで補導・逮捕された7人の元生徒は、全員が民事訴訟で死亡への関与を認定され賠償を命じられた。【画像】「本当にこれが人間のやったことなのか…」児玉有平さんの自画像が刻まれたペンダントを手にする父、昭平さんだが事件は今も終わっていない。7人から任意の賠償や謝罪はなく、勤務先などを把握できなかった3人については、確定判決に基づく請求権の消滅時効が完成するのを防ぐため、父親の昭平さんは訴訟を繰り返さざるを得なかったという。遺族はこの時間をどのような思いで生きてきたのか。
「被害者が33年にもわたって裁判をしていなくちゃいけないということが果たしてね、社会的に正しいというか、あるべき姿なのかということですよね。人が怒り続けるというのもなかなか体力を要することです」

7月15日午後、有平さんの父・昭平さん(77)は山形地裁で言い渡された判決直後に結果を電話で伝えられ、そう漏らした。昭平さんが元生徒3人に損害賠償の支払いを求めた裁判は、請求を全て認められた完全勝訴。それでも昭平さんの表情には深い苦悩と焦燥感がにじむ。

事件は1993年1月に起きた。中学校で有平さんが死亡しているのが見つかった。

山形県警は生徒3人を逮捕し、4人を補導した。うち1人は児童福祉司指導処分となり、家裁送致された6人の少年審判では3人が事件に関与したとして保護処分となり、3人は刑事裁判の無罪に相当する不処分になった。

さらに保護処分となった3人が不服として抗告した仙台高裁は広告を棄却しながら7人全員の関与を指摘。3人は再抗告したが最高裁は1994年にこれを棄却した。

いっぽう95年に昭平さんが起こした損害賠償請求訴訟では、2審の仙台高裁が7人全員の関与を認定。提訴から10年後の2005年に最高裁でこの判決が確定した。

だが、7人は全員、判決が命じた賠償の支払いをしなかった。

「民事訴訟では日弁連の少年事件関係の組織に関係する弁護士が二十数人、元生徒側で弁護団を結成しました。彼らは無実だと主張して“自殺説”や“事故説”まで主張し、僕たちはそれをいちいち打ち消さなければなりませんでした。そして、敗訴確定後も弁護団は賠償支払いに関する協議をまったく持ち出さなかったのです」(昭平さん、以下同)

元生徒4人は勤務先がわかり給与の差し押さえ措置を取ったが、残る3人は名前を変えるなどして生活実態の把握ができず、勤務先もわからなかった。損害賠償の請求権は判決確定から10年をすぎると消滅時効が成立するため、昭平さんはこの3人を相手取って再提訴。2016年に2度目の賠償命令が出た。

それでも3人は支払わず、再び10年の時効が近づいた昨年11月、昭平さんは3度目の提訴を行う。7月15日に山形地裁が出したのはこの裁判の判決で、2005年の最高裁で確定した約5760万円の損害賠償額の全額の支払いを3人に命じた。遅延損害金を含めた支払い総額は約1億1263万円になる。

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