見つかったのは「乳房と下腹部を切り取られた」19歳女性の遺体…《一目惚れからストーカー化》29歳男が「殺人衝動」にかられた理由(昭和29年の事件)

昭和29年の埼玉で凄惨な遺体が発見された。肉体の一部が切り取られたその姿は、一人の男の狂気を物語っていた。29歳の男は、なぜそこまで殺人衝動を募らせたのか。きっかけは、ある女性へのあまりに一方的な片思いだった。鉄人社の文庫新刊『 戦後まもない日本で起きた30の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の1回目/ 続きを読む )【写真】この記事の写真を見る(2枚)◆◆◆
後に日本犯罪史上初のストーカー殺人を起こす古屋栄雄は1924年(大正13年)、現在の山梨県甲州市塩山に生まれた。小学校での成績は極めて悪く、卒業するときは285人中の最下位。

 卒業後、近所の電気屋に就職したものの、半年で辞め、以降は実家で畑仕事を手伝うようになる。同時に犯罪に手を染め始め、バス車内でスリを働き裁判で懲役8ヶ月、執行猶予2年の判決が下される。太平洋戦争が始まって9ヶ月後、1942年9月のことだ。

 地元で「前科者」「ワル」などと白い目で見られるなか、建材屋の見習いとして住み込みで働くものの、職場から盗んだ銅材を実家に運んでいたことが発覚。執行猶予は取り消しとなり、1944年4月、北海道函館の少年院に収容され、1年4ヶ月後の1945年8月退院。その後は実家に戻り、畑仕事を手伝いながら、家具を造ったり、電気器具の卸しを始めたりしながら、しばらくは大人しく暮らした。
1950年春、古屋が25歳のとき家具製造や電気器具商売への課税が厳しくなり、商売は廃業。これを機会に性格が粗暴になるとともに、当時流行っていたダンスホールで運命の出会いを果たす。塩山のホールに遊びに来ていた近藤ふみえ(仮名。当時18歳)。細面で顔立ちの整った、この工員女性に一目惚れしたのだ。

 古屋はそれまで一度も交際経験がなかったばかりか、女性に親しくされたことさえなかった。が、ふみえは優しく口をきいてくれた。それは彼女の性格ゆえの態度で好意ではなかったが、古屋は舞い上がる。強引に交際を迫ったうえで、彼女の両親に結婚を前提とした交際を申し込んだ。答はノー。「定職がなければ認めるわけにはいかない」というのが言い分だった。

 そこで、古屋は1952年の夏に上京。家具店、ゴム紐の行商、似顔絵書きなどをして金を貯める。が、同年9月に窃盗を働き逮捕。起訴は免れたが、この一件で近藤家は古屋を極端に敬遠し、ふみえも彼を怖がるようになる。

 それでも古屋の気持ちは変わらず、1953年7月に近藤家を訪ね交際を直談判。両親は門前払いを食らわせ、ふみえの身を案じて埼玉県の姉のもとに避難させる。そこへ、追いかけるように古屋が現れた。

 対応したふみえの義兄は古屋を邪険に扱わず、「ふみえはここにはいない。正業に就けば居場所を教える」と職まで紹介してくれた。仕事は同県朝霞市内の映画館での看板描きやビラ貼り。性に合う仕事で1年は住み込みで真面目に働いた。しかし、それでも義兄はふみえの居場所を教えない。

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