飲酒運転、婦女暴行、窃盗…外交特権で逮捕できない外交官と向き合う警視庁「リエゾン班」とは? “アンタッチャブル”な領域に光を当てた作家が語る小説着想の背景

東京・港区の路地裏で見かけた、駐禁看板の下に停まった一台の黒塗り高級車。そのナンバープレートにあった「外」の文字が、すべての始まりだった――。

 日常の中に潜む小さな違和感に鋭く反応したのが、作家の射場健司さんである。

 射場さんは、大手新聞社の社会部記者として長年にわたり、検察や国税、防衛などの取材を担当。事件遊軍班長や司法キャップを歴任し、オウム真理教事件や徳洲会事件など、歴史に残る重大事件の報道にも携わってきた。

 そんな射場さんがデビュー作『警視庁外事一課リエゾン班 亡命者』で描いたのは、「外交特権」というアンタッチャブルな領域と、その最前線で任務にあたる警察官たちの姿だ。

「警視庁外事一課リエゾン班」に赴任した女性警察官・佐倉サクが、外交特権に守られたロシアの外交官やオリガルヒたちを相手に、さまざまな制約の中で粘り強く事件に向き合っていく――。

 あまり知られることのない「リエゾン班」を題材に選んだ理由とは何だったのか? 着想のきっかけや物語に込めた思いを著者自らが綴る。

 ***
この本のための取材を始めた2021年春のことです。

 東京・六本木の歓楽街から徒歩10分ほど。表通りから路地を抜けた閑静な一角に、中央アジアの砂漠の国、K国の在日大使館があります。その建物に面した通りには駐車禁止の看板が立っていますが、その看板の真下に黒の高級国産車が止めてありました。

 これはまた随分と大胆な駐車違反……。たまたま通りかかった私は、思わず車のナンバーを覗き込みました。そこには「外」の文字が。それはK国の外交官公用車でした。通りから見える大使館の駐車スペースは、これと同じ黒塗りの車で満杯のようです。ということは、この大使館は駐車スペースからあふれた車を路上に置いているのか……。

 そこはちょうど、警視庁が重点的に警備しなければならない施設が近くにあるため、出動服姿の機動隊員や制服警官がひっきりなしに近くを歩いている場所でした。私は気さくそうな熟年のおまわりさんに声をかけてみました。

「この車?」と日焼けしたおまわりさんは車を見て首を傾げます。

「うーん、この車かどうかは知らないけど、確かにここに止めてあるのはよく見かけるよね」と親切に答えてくれました。

「あのう、でもここは駐禁では?」と私が看板を指さすと、「さあ、私はよく知らないから」と踵を返し、そそくさと歩き去りました。

 それから五時間ほど後、すっかり夜が更けてから、私はもう一度そこに行ってみましたが、車は依然、同じ場所にありました。翌朝、大使館に電話で取材を申し込みましたが、車の駐車場所のことでと告げると、「担当者がいない」「K語で書いた取材申込書を提出してほしい」と言うばかり。

 もしかしたらK国側にも言い分があったのかもしれませんが、結局説明を受けることはできずに終わりました。

 

 車の運転をする人なら、駐車違反の切符を切られた経験がある人は多いでしょう。もしその人がこの大使館の前を通り、駐車違反が常習的にまかり通っているのを見たら、しかもそこを警察官が頻繁に歩いているのに誰も目くじらを立てないのに気づいたら、いったいどんな気持ちになるでしょう。私はそれを考えずにはいられませんでした。

 一般の警察官の多くにとって、外交官という存在は鬼門でしかないようです。外交官には不逮捕特権が与えられているため、逮捕はおろか身体に手を触れることもできないし、どんな罪を犯しても裁きにかけることはできません。このため警察官は外交官の違法行為を認知しても、自分のお手柄にすることは絶対にできないわけです。それどころか、へたに外交官に手出しして外交活動の妨害だと騒ぎたてられたりしたら面倒です。国際問題に発展すれば、警視庁トップのクビが飛ぶことにもなりかねません。だから外交官には近寄らない方が得、触らぬ神に祟りなし、というわけです。

 私が出会ったおまわりさんの反応も、そういう空気を反映していたように思います。

 

 さて、この小説の主人公がいる警視庁外事一課の公館連絡担当班(通称・リエゾン班)は、まさにこのような警察権力のらち外にいる者たち――外交官――に対処するために設けられた実在の部隊です。

 平たく言えば、最前線の警官たちが避けて通るめんどくさい連中、外交官たちを相手に渡り合わねばならないという、非常に厄介なポストなのです。

 この東京には世界の国々の大使館や国際機関の代表部など、全部で180余りの外国公館があります。そこに赴任してくる外交官たちの多くは高学歴、高収入のお上品な人たちなんでしょうけど、中にはそうでもない人も混じっているようです。

 外交官が起こす事件・事故については警視庁が公表を控えているためなのか、明るみに出ることは少ないようです。しかし、警察内部の人によると、実は外交官絡みのトラブルは軽微なものも含めると「頻発している」といっていいそうです。

 交通違反の切符を切られても反則金を納めないまま帰国してしまう外交官が後を絶たないという事実は、警察庁の統計によって明るみに出るため、時折報じられています。でも、実はそれだけでなく、車を運転中に人身事故や物損事故を起こしながら現場で事故処理に立ちあおうとすらしない外交官もいるそうです。

 事故現場で強いアルコール臭がするため警察官は呼気検査を求めますが、外交官は拒否して車に乗り込み立ち去ってしまう――そんなケースもあったそうです。車をぶつけられた人は慰謝料も修理費も治療費ももらえず泣き寝入りです。

 このほか、暴力事件や器物損壊、盗み、婦女暴行などの事件が外交特権の壁に阻まれて犯人逮捕に至らないまま終わった例もあるそうです。

 こうした外交官絡みの事件・事故が発生すると、所轄の警察署はただちに本庁のリエゾン班に連絡します。連絡を受けたリエゾンは所轄と協力し、相手国の大使館に乗り込んで当事者を説諭するなり、あるいは上司にあたる大使と面会して厳しく説諭するよう求めるなりするわけですが、これがそう簡単にはいきません。なにしろ大使館は警察官の訪問を受けてもゲートを開く義務すらないので、門前払いされてもおかしくないのです。相手はアンタッチャブルな奴ら。やってられない気持ちになることでしょう。

 警視庁外事一課長経験者のOBは私のインタビューの中で、リエゾン班をこう評しました。「彼らも大変なんだよ。初めから勝ち目のない喧嘩をさせられるのが宿命なんだからね。どこまで頑張っても手柄にはならない――そういう役回りなんです」

 

 リエゾン班のことを本にしたいと考えて取材を進めるうち、私はある考えにとりつかれました。

 もしリエゾン班に、とんでもなく諦めの悪い女が赴任したら、いったいどんなことが起こるだろうか――。

 この小説はそんな妄想からスタートした物語です。やせっぽちで向こうっ気の強い女警部補、サクが、リエゾン班にやってきます。彼女は「悪党に頭を下げるつもりはないのよ」とうそぶきます。

 彼女は別に、超人的な活躍はしません。普通にドジなこともするし、むしろ失敗して壁にぶつかることの連続です。しかし、自分が助けなければ確実に命を落とすことになる人を守り抜くため、逆風をものともせず全力を尽くします。そして、外交特権という突破不可能な壁に守られた巨悪に戦いを挑むのです。

 自分で言うのもなんですが、私はパソコンのキーボードを叩きながら、サクという女性のカッコよさに痺れました。途中、書きながら涙が込み上げてしまったことも……。

 おっと、ネタばれはこれぐらいでやめておきますか。どうか一人でも多くの方に、リエゾンの女、サクの冒険にお付き合いいただくことができたら幸いです。

[レビュアー]射場健司(小説家/ライター)
1961年、茨城県出身。早稲田大学政治経済学部卒。大手新聞社記者として警察、検察、国税、公取委、証券取引等監視委、旧防衛庁などの取材を担当。事件遊軍班長、司法キャップ、編集委員としてオウム真理事件、徳洲会事件などさまざまな事件報道を統括。2019年に退職。ノンフィクションでは、本名の石塚健司名義で『ひどい捜査 検察が会社を踏み潰した』(講談社)などの著書がある。

協力:アップルシード・エージェンシー アップルシード・エージェンシー

Book Bang編集部

新潮社

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