2019年4月に東京都豊島区で発生した、自動車により母娘2名が死亡した池袋自動車暴走事件は、社会問題となっている高齢者による自動車事故であることから、世間の耳目を集めた。事件発生現場は東京都豊島区内の交差点近くとりわけ取り沙汰されたのは、運転手が87歳(当時)とかなりの高齢であったことと、その被疑者が旧・通産省の元幹部で、工業技術院長や民間会社の副社長などの要職を歴任していたこと、そして「逮捕されなかったこと」だった。
ほぼ同時期に、兵庫県神戸市で市営バスが横断中の歩行者に突っ込み男女2人が死亡、6人が重軽傷を負う事故が発生したが、こちらでは運転手が現行犯逮捕された。このことから、池袋の事件の被疑者が「特別扱いされているのではないか」という憶測が飛び交い、「上級国民」という俗語まで登場した。
なぜ、逮捕されたりされなかったりすることがあるのか。池袋自動車暴走事件を素材に、逮捕される理由とされない理由を考える。(本文・堀田周吾(東京都立大学法学部教授))
※本記事は野田隼人・堀田周吾 著「事件・裁判報道の『深層』を読む技術」(現代人文社)より一部抜粋・構成しています。
まずは、「なぜあの人が逮捕されずに済むのか」という批判がそもそも生まれる理由は何かを考えてみます。
後述するように、被疑者の逮捕・勾留は、逃亡や罪証隠滅を防ぐことを目的とする処分ですから、それ自体が法的な制裁と位置づけられるわけではありません。在宅事件であるか身柄事件であるかにかかわらず、必要な捜査は行われますし、起訴されて裁判にかけられもします。
したがって、逮捕と刑罰を区別し、逮捕された人は刑罰を受けているわけではないということに注意しなければなりませんが、その点が混同されがちなのはどうしてでしょうか。
第一に、「逮捕された被疑者=真犯人」という強い先入観から、「犯罪を犯したら逮捕されるものだ」という決めつけがあるように思われます。
実際には逮捕されない場合の方が多いため(後述)、これ自体が誤解です。しかし、世間で共有されるこのような先入観は容易に払拭できるものではありません。
第二に、逮捕された人の処遇です。
そもそも逮捕とは、法律に基づき強制的に身体を拘束する処分のことであり、身体を拘束された被疑者は、警察署の留置施設や、拘置所などの刑事施設に収容されます。ドラマや映画の描写から、これらの施設は刑務所と似たイメージを持たれているため、そこに収容されることがあたかも刑罰であるかのように思われているのかもしれません。
法的にどのような処分なのかということとは別に、逮捕には社会的な不利益や関係者への非難がつきまといます。
たとえば、会社の従業員が何らかの事件で逮捕されれば、その従業員は解雇される場合があります。会社にも批判が向けられますから、会社がお詫び文を出すこともあります。また、ソーシャルメディアなどで大きな話題となれば、被逮捕者やその勤め先等への非難が伝播し、「電凸(でんとつ)」と呼ばれる暴挙に出る人まで現れます。
こうした事実上の不利益があるため、逮捕されること自体が一種の「制裁」となってしまっている現状があります。これ自体は根深い問題であり、一挙に解決することは困難です。
逮捕された人を「容疑者」と、あたかも真犯人であるかのようにレッテル貼りする報道の有り様や、実際に誤認逮捕の割合が小さいという実情など、複数の要因が絡んでいます。