通勤などで公共交通機関を利用する男性なら誰でも当事者になってしまう可能性がある「痴漢冤罪」。被害者の証言だけを鵜呑みにした冤罪事件はなぜ起きてしまうのか。2009年の「郵便不正事件」で自身も冤罪に苦しんだ著者が、現在の刑事裁判が抱える問題を指摘する。※本稿は、全国社会福祉協議会会長の村木厚子『おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。【この記事の画像を見る】● 「この人、痴漢です!」 不可抗力の接触にさえ要注意
東京都の迷惑防止条例では、第5条で、「何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為」をしてはならないとし、その行為として、「1 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること」を規定しています。
この規定に違反すると、6カ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金に処されます(常習の場合は1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金)。他の地方公共団体にも同様の趣旨の規定があり、それに対する刑事罰が適用されています。
なお、「拘禁刑」とは、従来の懲役刑と禁錮刑の総称です。2025年6月施行の改正刑法でこの名称に統一されました。
対象とされる行為は、痴漢事件で多発している「揉む」「撫でまわす」といった行為だけではありません。自分の身体の一部が他人の身体に触れただけでも、「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせる」ものであれば、条例に抵触することになります。
もちろん、電車やバスが激しく揺れてたまたま近くに居合わせた人の身体に倒れかかってしまったとか、手の甲などが触れてしまった場合、あるいは、荷物を持ち替えたりする際に肘などが隣の人の身体に触れた場合などは、不可抗力または過失になるので、処罰の対象になりません。
でも、相手が故意だと感じて「この人、痴漢です!」と叫ぶようなケースも、ないとは言えません。ラッシュ時間帯の電車やバスの中では、周りの人たちとの身体的接触を避けることが難しいので、十分に注意するほかありません。
● “被害者証言”を裁判官が鵜呑みにした 「防衛医大教授痴漢冤罪事件」
2006年4月、東京都世田谷区内を走行中の小田急線車内で、女子高生の下着(パンティ)の中に手を入れ下半身を触ったとして、防衛医科大学校教授のNさん(当時60歳)が強制わいせつ罪で逮捕・起訴されました。
逮捕直後に行われた繊維鑑定の結果では、Nさんの手指から女子高生が着用していた下着の繊維は検出されていません。
被害を訴えた女子高生は、「左手で執拗に触られた」「満員電車で痴漢行為を避けることができなかった」などと証言しましたが、痴漢にあってから途中の停車駅で一度電車を降りたのに、再び同じ車両に乗ってNさんの隣に立っていたなど、不自然な点もあります。
Nさんは一貫して容疑を否認していましたが、東京地裁は、「一度は電車を降りたが、乗客に押されたためNの隣に立った」などとする女子高生の証言だけを根拠に、懲役1年10カ月の実刑判決を下しました。
控訴審から弁護を担当した秋山賢三弁護士らは、原判決の問題点を指摘する再現実験を3通り行い、それをDVD化して東京高裁に提出しました。
当時、痴漢事件で無罪を争うには、再現実験とその映像がないと物足りないと思われるぐらい主流になっていました。
痴漢事件の裁判は、被害を訴えている人の証言と、被告人の証言の、どちらが信用できるかで判断されがちです。