タブー視された未解決の一家7人惨殺強盗、慰霊も伝承もされず80年…うわさから住民ら疑心暗鬼に

80年前の5月9日、長野県南部の旧市田村(現高森町)で子ども5人を含む7人が惨殺された強盗事件があった。奪われたのは米俵4俵と精米15キロ。終戦翌年の食糧難の時代で、住民の犯行が疑われたため地元では口にすることがタブー視された。事件は未解決のまま時効となり、地元で慰霊行事や伝承の動きはない。事件に詳しい町民は「食糧難という時代背景が悲しい事件を生んだことを忘れてはいけない」と訴える。(長野支局 山崎至河)
市田村一家7人殺害事件。後にそう呼ばれる事件が起きたのは、1946年5月9日夜だった。県警察史などによると、当時38歳と25歳の姉妹と、同3~12歳だった姉妹の子ども5人の計7人が自宅で就寝中、何者かにまき割り用おので頭部を強打されて殺害され、翌日、近隣住民が遺体を発見した。
「7人がどんな人だったかも知らない。とても母には聞けなかった」
一家の親族で、事件現場の跡地に住む後沢(ござわ)文雄さん(74)は言葉少なに話す。母親(故人)は「時効を迎えた61年に7人の墓参りをした」と話してくれたものの、7人の人柄や事件の詳細は口にしなかったという。
一方、近くに住む男性(60)は第一発見者となった祖母(故人)から何度も当時のことを聞かされた。祖母は回覧板を届けに行った際、小さな女の子が血まみれの手を障子にかけるように倒れているのを見つけたという。男性は「年月の経過とともに事件のことも忘れ去られるものだと思っていた」と、静かに振り返る。
「記憶」は一部で残るものの、7人を慰霊する行事などは行われていない。事件を題材にした小説などはあるが、伝承の機会もない。その理由について、姉の次男(当時9歳)と同窓生だった男性(90)は「住民による犯行という見方もあり、それが影響したのでは」と話す。
盗まれた米俵などは現場から約300メートル先の山林内の横穴で発見された。近隣住民がかかわっているとのうわさが流れ、住民の間に疑心暗鬼が生まれた。「次第に事件を忘れたいと思うようになった」と男性は振り返る。

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