「犯人は単独犯」「土地勘のある人物」長野県の未亡人宅で7人殺害⋯住民同士を疑心暗鬼に追いやった「凶悪犯」はどこへ消えた(昭和21年の事件)

〈「中は血の海」夫を亡くした女性(38)宅から出てきたのは【斧で滅多打ちにされた子供たちの遺体】⋯長野県の田舎村でなぜ「連続殺人事件」が起きた?(昭和21年の事件)〉 から続く【写真】この記事の写真を見る(2枚)一家7人が斧で惨殺された凶悪事件――戦後の混乱と食糧難のなか、捜査はなぜ行き詰まったのか。

 長野の寒村で起きた凄惨な大量殺人は、やがて村人同士の疑心暗鬼を招き、冤罪寸前の混乱へと発展していく。事件のその後を、鉄人社の文庫新刊『 戦後まもない日本で起きた30の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の2回目/ 最初から読む )

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一方、盗まれた玄米4俵は、現場から約300メートル離れたサツマイモ貯蔵用の洞穴の中に隠してあるのが見つかった。

 米俵にはわずかながら血痕が付着していたことなどから、警察はこれらを被害品と断定。犯人が必ず米を取りに戻ってくるものとみて、洞穴の所有者に口止めしたうえで極秘に捜査員を張り込ませたが、犯人が姿を見せることはなかった。

 また、この洞穴がこれまで何度もサツマイモ盗難の被害に遭っていたことから、警察は盗難の現行犯で逮捕された者を中心に身辺調査を実施したが、いずれも本事件とは無関係と判明している。

 長野県警刑事課と所轄の飯田署は現場近くの瑠璃寺に捜査本部を設置、延べ8千人に及ぶ捜査員を導入し犯人を追った。が、極度の食糧難から十分な捜査活動は実現せず、事件発生からわずか3ヶ月で捜査体制の縮小を余儀なくされる。
事件を振り返った1961年発行の『信濃毎日新聞』によれば、当時の捜査員たちは草も食べていたような状態であり、その大半が体重を5〜10キロ減らしていたという。
こうした捜査員の事情に加え、物証が凶器の斧と被害品の米俵のみだったこと、被害者宅が人里離れた山腹に建つ一軒家だったため事件発生から発覚まで1日を要したこと、事件当夜が大雨で足跡などが洗い流されていたこと、事件発生時に村民が鐘を打って事件を全村に知らせ警察官より先に現場に駆けつけた住民が、凶器に手を付けたり死体を動かしたりしていたことなどから、現場鑑識による犯人特定をより困難にした。

 それでも、警察は凶器や犯人のものと思われる足跡がそれぞれ1つずつしかなかったことや、犯人が犯行後に現場から約300メートル離れた洞窟まで玄米を運び出すために数回往復していることから、単独犯であると推定。

 また犯人のものと思われる足跡が大きかったことや、被害者7人を1、2回の殴打でそれぞれ即死させたこと、1人で玄米を運び出せたこと、現場から米を盗んだ一方で金目のものには手を付けていないこと、無抵抗な被害者たちを次々と惨殺している点から、現場に土地勘のある地元住民であると犯人像を絞り込んだ。

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