〈「警察に知らせたら五体満足では戻らない」渋谷駅で見つかったのは“7歳男児の遺体”…「公園で遊んでいた小学生」はなぜ刺殺された?(昭和44年の事件)〉 から続く【写真】この記事の写真を見る(2枚)「身代金で贅沢な生活をしたい」──その歪んだ欲望が、7歳の命を奪った。
昭和44年、東京・渋谷で起きた身代金誘拐事件。逮捕された19歳の男は、なぜ無抵抗の小学生を刺殺し、遺体を駅に遺棄するという凶行に及んだのか。鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の2回目/ 最初から読む )
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事情聴取で正寿ちゃんを殺害し、死体を遺棄したことを自供したため営利誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で、その男、黒岩恒雄(同19歳。事件当時、実名は伏せられていた)を緊急逮捕する。
その後、供述どおり東横線渋谷駅構内の荷物預かり所で、鞄に入った正寿ちゃんの遺体を発見。
取り調べに対して黒岩は「金に困り、1週間前から誘拐を計画した。犯行のヒントは映画やテレビ(特に「ザ・ガードマン」)を参考にした」と供述するとともに正寿ちゃんが履いていた靴のうち片方を持ち歩いていた理由については「吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人が身代金の取引の際、自分が犯人であることを証明するため被害者の靴を使ったことを知っていたので、子供を始末してからも靴だけは持っていようと思った」と述べた。
黒岩は1950年、長崎県長崎市で5人兄弟の末っ子として生まれた。幼少期から性格は内向的で注意力も散漫だったが、運動神経は抜群で、中学時代は東京オリンピック(1964年)の聖火リレーの伴走者に選ばれたこともあった。
中学卒業後、長崎市内の私立高校に入学。高校時代は校内競技大会で、クラスのバレーボールチームを率いて優勝の原動力になるなど、陽気な性格で、入学から4ヶ月間は真面目に通学していたが、同市役所の職員だった父から手に職をつける道に進むことを勧められたことに嫌気がさし、1年生の夏休み中の1966年8月に、父名義の預金から勝手に10万円を引き出し家出。高校も中退した。
その後、兵庫県神戸市のパチンコ店に住み込んで働いてから、1967年3月に上京。東京都品川区西大井の印刷所に住み込みで勤務したものの、2ヶ月後の5月末には退職してしまう。非社交的で親しい友達はおらず、当時の趣味は1人で映画やテレビを見たり、漫画を読むことだった。
退職後、長崎の実家に戻り、同年8月に同市内の石油会社に入社。ガソリンスタンドの給油・パンク修理などの仕事に従事するも、昔の知人からは依然としてバカにされ、冷たくあしらわれる日々。鬱屈した心はやがて、有名芸能人のように豪華な家に住んで贅沢な生活を送ることで、自分をバカにする地元の人間を見返してやろうという考えに支配されていく。