大仁田厚が選んだ“関西プロレス事件簿”トップ3…新日本プロレス単身殴り込みの裏にあった鋭い嗅覚【週刊プロレス】

大仁田厚が4月16日、「ますだおかだ増田のラジオハンター」にゲスト出演した。【写真】出演終了後に同局の大仁田美咲アナと再会。以前は親戚であることを否定していたが、大仁田厚が「絶対どこかでつながってるよ」と“親戚説”を認めた
「今週のおしゃべりハンター」のコーナーに登場、“電流爆破ンター”と紹介された大仁田のバックに流されたのは入場テーマ曲である「ワイルドシング」ではなく、本人が歌う「もうひとつの土曜日」(浜田省吾の楽曲をカバーして2004年に発売)。番組冒頭にも流されたが、局入りする際にタクシー内で流れていて「照れ臭かった」と苦笑した。

オリジナルのスローバラードではなく、ライトでポップな感じにアレンジされた大仁田版。大の浜省ファンである増田には酷評されたが、発売前には浜田省吾本人から「このアレンジいいね」とのメッセージが寄せられた。だが、「売れなかった」。

 実は子供のころ、少年合唱団でボーイソプラノを担当していた大仁田。ウィーン少年合唱団が長崎で公演した際には、同じステージに立ったというほど。

 当初、代名詞ともいうべき有刺鉄線バットをスタジオに持参する予定だった大仁田。用意していたものの、飛行機への持ち込みを拒否されたため泣く泣く羽田空港の駐車場に停めた車のトランクに置いてきたという。

デビューから間もなく52年になる大仁田が挙げた“関西プロレス事件”トップ3は以下の通り。

<1>付け人時代にジャイアント馬場さんの試合用タイツを忘れた事件

前夜に洗濯してホテルの部屋に干していたがバッグに入れ忘れてしまった。会場入りしてタイツがないことに気づき、試合を終えた外国人選手のタイツを失敬して馬場に履かせた。しかし試合後に「このタイツ、誰のだ?」と言われ、その後1週間、口をきいてもらえなかった。

<2>道頓堀ダイブ(1992年12月7日)

 「世界最強ストリートファイト・タッグリーグ戦」で決勝に進出し、ターザン後藤、ビッグ・タイトン組相手に勝利。話題作りのため「負けたら道頓堀に飛び込む」と公言していたが、単に優勝しただけでは大きなニュースにならないと判断した大仁田は、試合コスチュームのまま道頓堀へ向かい、相合橋からダイブした。

しかしその代償は大きく、1週間後にノドが大きく腫れあがった。そして扁桃炎から敗血症となり、翌年、巡業中に鹿児島で意識不明となって入院。昏睡状態は18日間続き、医師からは「70%死ぬ」と宣告された。

2013年2月8日、大阪府立体育会館・第2競技場で曙と電流爆破マッチで対戦した際も、「負けたら道頓堀に飛び込む」と発言。だが、その際は警察から「飛び込んだら逮捕する」と警告された。結果、勝利したこともあって、2度目のダイブは踏みとどまった。

<3>単身で乗り込んだ新日本プロレスのリング(1988年11月18日、京都府立体育館)

新生FMWを追われた大仁田。そこで長州力との対戦をぶち上げて、新日本の京都大会に乗り込んだ。

なぜ京都に乗り込んだのか? なぜ長州をターゲットにしたのか? それに大仁田は番組内でこう答えた。

「東京の会場に乗り込んでも面白くない。恋愛といっしょで距離感が重要。会いたくてもすぐには会えない。そのありがたみっていうか。それが東京-京都の距離感」

「当時、新日本と全日本はイデオロギーが全然違ってた。『俺と闘え!』と現役の選手をターゲットにしても、簡単に闘える。でも、(同年1・4東京ドームで)引退した長州を引きずり出したら、それだけで一大事件になる」

結果、1年半かかって引きずり出すことに成功。長州vs大仁田の電流爆破マッチが行われた2000年7月30日、横浜アリーナ大会は、この熟成期間によって一部ではチケットが48万円で取り引きされたほどの大人気興行となった。

橋爪哲也

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