「激昂して食卓に飛び乗り…」「泣き叫ぶことも」エリート一家で育った“医学部の姉”が突然、統合失調症に…弟(59)が明かした当時の記憶

1983年、医学部に通う優秀な姉が、突然、統合失調症を発症した。現実とは思えない言葉を叫び始めた。しかし、研究者で医師でもある両親は「問題ない」として医療から遠ざけ、ついには南京錠をかけて家に閉じ込めた。【画像多数】「激昂して食卓に飛び乗り…」「泣き叫ぶことも」24歳で統合失調症になった“医学部の姉”を写真で見る弟である藤野知明監督は、20年にわたってその家族を記録し、ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』として公開。今年1月には同名の書籍『 どうすればよかったか? 』(文藝春秋)も刊行された。

 両親ともに医師免許を持つエリート一家で、何が起きていたのか。藤野監督へのインタビューから、その壮絶な日々と家族の葛藤を紐解く。

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藤野監督の家庭は、父が生理学、母が薬理学の研究者で、共に医師免許を持つ。父は定年後に叙勲され、母は大学教授として教科書を執筆するほどだった。

 8歳上の姉は、そんな両親のもとで優秀に育った。中学時代は生徒会の副会長を務め、友達も多く、多才だったという。特に父への尊敬は強く、藤野監督は「尊敬を通り越して、崇拝していた感じがあったんですね」と振り返る。

 姉は、医師であり研究者でもある父の背中を追い、仮面浪人も含め4年間の浪人生活を経て、念願の医学部に入学した。しかし、大学での人間関係に悩み、孤立していったようだ。その頃から、姉の言動に少しずつ変調が見られ始める。

「自分は優秀だ」という手紙を単身赴任中の父に送ったり、大学からの帰り道に木の枝や空き缶などのゴミを両手いっぱいに抱えて帰ってきたりするようになった。そして1983年の春、事態は急変する。姉が24歳、藤野監督が高校2年生の時だった。

 夜7時か8時頃、突然、隣の姉の部屋から叫び声が聞こえた。藤野監督は当時の状況をこう語る。

「布団の中で唸ったり叫んだりしていたんですが、内容はとにかく現実とは思えない話をくり返していて。1つだけ覚えているのは『パパがテレビの歌番組に出て歌っていた時に応援しなくてごめんね』という内容です」

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