ホームレス生活を脱し自立していたのに…突然失踪した男性に支援者がかけた「意外な言葉」とは

北九州で37年間ホームレス支援を続けてきた認定NPO法人「抱樸」。最初に支援した男性は一度は自立したが、後に電気の止まった部屋で再び困窮する姿を目の当たりにした。ホームレス状態を脱しても、支援が終わるわけではない。抱樸の奥田知志理事長が、自立後に待ち受ける現実を語る。※本稿は、奥田知志『わたしがいる あなたがいる なんとかなる「希望のまち」のつくりかた』(西日本新聞社)の一部を抜粋・編集したものです。【この記事の画像を見る】● 路上生活を脱した男性が ゴミ屋敷で倒れていた

 今から三十数年前、最初に路上を脱し、アパートに入居されたのは70代男性、中村さん(仮名)だった。路上生活を5年ほどされていたが、大きな一歩を踏み出された。

 頭金、家財道具、保証人など、いろいろ越えなければならないハードルをなんとか乗り越え、ついに入居の日を迎えられた。本人も支援者も大きな喜びと希望を抱いた日となった。この実績を携え、僕らは次の路上のいのちへと向かっていった。

 半年が過ぎた頃、大家さんから連絡が入った。「中村さんの部屋から異臭がしている。見てきてほしい」。すぐに部屋を訪ねた。ノックをするが応答はない。ドアのすき間から確かに異臭が漏れている。鍵を借りて中へ。電気はすでに止まっており、室内は真っ暗。懐中電灯を照らすと部屋は一面ゴミの山だった。強烈なにおい。

 「ええっえええ」。半年前のきれいな部屋はゴミ屋敷に変わっていた。ゴミの山を乗り越え、奥の部屋へ。山は一層高くなる。

 その真ん中辺りが窪地になっており、その中で中村さんが倒れているのが見えた。慌てて駆け寄り「親父さん!」と肩をゆする。最悪の事態が想定された。
すると……。「なんや、ああ、奥田さんか」と中村さんは笑顔で起き上がった。正直、心臓が止まるかと思った。いや一瞬止まった。

 その後、中村さんにはわが家に避難してもらい、本人の同意の上でゴミを袋に詰めた。最終的に100袋ほどのゴミを部屋から出した。

● 支援者に最も必要な 人との「つながり」

 さて、問題は「なんでこんなことになったのか」である。僕らはそのことについて考えた。そこには「個人的要因」と「社会的要因」という2つがあると思う。

 まずは「個人的要因」。

 その本人になんらかの課題があったのではないかということ。自立生活の経験がなかった、軽度の障害があったなど、入居支援のみならずケアすべき課題を本人が抱えていたことに僕らが気付かず、支援を怠ったということ。

 現在の抱樸のスタッフならば、すぐに気付き支援体制を整えるが、当時は草創期で難しかった。

 もう1つが「社会的要因」。

 考えてみた、僕はいつ掃除をするかと。毎日と言いたいがそうはいかない。正直に言うと「誰かが訪ねてくるとき」だ。怠け者の僕の場合、客人が来る前夜、妻と2人で必死に掃除をする。

 中村さんの場合、自立以後、訪ねてくる人はいなかった。僕らも次の人の支援に向かっていったので訪ねなかった。なぜなら「中村さんの支援は成功、そして終了」と考えていたからだ。

 だが、誰かが訪ねてくるという機会がないと「掃除する気にならない」のが人間だ。少なくとも、僕はそんな人間。人の行動に動機を与えるのは「他者の存在」なのだ。それがないと人はその気になれない。

 その後、制度を活用しつつ、何よりも皆で手分けして定期的に訪問をするようにした。お世辞にもきれいとは言えない部屋だったが、ゴミ屋敷になることは二度となかった。

 ある日、部屋を訪ねて気付いたことがあった。入居時、1つしかなかった湯飲みが2つになり、3つになっていった。

 僕らが訪ねてくることを準備しながら待ってくれている。不十分ながらも中村さんは僕らのために掃除し、湯飲みを洗ってくれている。自立のみならず「つながり」が大事。

 「出会いから看取りまで」という抱樸の支援の形が生まれた出来事だった。

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