「下腹部は血まみれ」「顔はカラスに突かれていた」林で発見されたのは6歳少女の遺体…無実の青年を「死刑囚に変えた」警察の暴走(昭和29年の冤罪事件)

6歳少女が消え、林で無残な遺体となって発見された。逮捕されたのは放浪中の22歳男性。しかし自白は拷問の末のものだった――死刑判決から34年後に無罪となった〈島田事件〉、その闇を追う。新刊『 世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)【写真】この記事の写真を見る(2枚)◆◆◆
1954年(昭和29年)3月10日日曜日、静岡県島田市幸町の快林寺境内にある中央幼稚園で「卒園記念お遊戯会」が開かれていた。お遊戯会は7日から始まり、この日が最終日。園には父兄や近所の人が来場し、キャラメルや飴、大福などの屋台も出るなど実に賑やかだった。

 子供たちが次々と遊戯を披露し、昼過ぎに同園園児の佐野久子ちゃん(当時6歳)の出番が回ってきた。が、先ほどまで本堂の石段付近で他の子供たちと遊んでいた彼女の姿がどこにもない。久子ちゃんは八百屋の娘。家の用事で帰ったのかもしれないと園職員たちはさほど気にかけなかった。ところが、暗くなっても自宅に戻っていないことがわかり、事態の深刻さが判明。両親が警察に届け出る一方、園児父兄、警察、消防団、町内会が総出で久子ちゃんを探し回る。彼女はどこにもいなかった。

 有力な目撃情報は次々と入ってきた。当日昼間、久子ちゃんと出番待ちしていた友人の園児によれば、若い男が近づいてきて「ハイヤーに乗せてやるで、駅に来て」と声をかけてきたそうだ。友人は断ったものの、久子ちゃんは無邪気に付いて行ったという。また、快林寺の近くに住む主婦は、昼少し前に園の門から少女と若い男が出てくるのを見ていた。
さらに、島田市内を流れる大井川にかかる木造歩道橋で、渡るのに橋銭を徴収していた蓬莱橋の橋番の男性の話では当日14時ごろ、若い男と少女が通りかかり橋銭を要求したところ、「後で払うから」とそのまま橋を渡っていったという。これが最後の目撃証言だ。

 似たような2人を見たという情報は他にも数件あったが、それらを総合すると、少女を連れていた男は「25、26歳の勤め人風」「ネズミ色の洋服」「頭髪は七三分け」で一致していた。このことから警察は久子ちゃんが男に連れ去られたものとみて周辺一帯の捜索を続ける。

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