“子ども用おむつ”が履けるほどガリガリに…拷問と洗脳によって7人殺害《北九州監禁殺人事件》犯人夫婦の“その後の人生”【唯一の生存者はその後…】(平成9年の凶悪事件)

〈だから「家族同士の殺し合い」は起きた…妻の母を強制ワイセツしただけじゃない《北九州監禁殺人事件》犯人男の“あまりに残忍な洗脳手法”(平成9年の凶悪事件)〉 から続く【ー衝撃画像ー】「人はここまで痩せるのか…」子供用オムツを履けるほどガリガリになった7名の被害者【生存者はわずか1名…】拷問と洗脳が加速した末、家族は互いに殺し合わされ、7人が命を落とした《北九州監禁殺人事件》。事件はどのように終結し、首謀者と共犯者はどう裁かれたのか? 唯一の生存者は、その後どんな人生を歩んだのか? 文庫『 世界の殺人カップル 』(鉄人社)よりお届けする。(全4回の4回目/ 続きを読む )

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そんな地獄のような暮らしが半年ほど経過した1997年12月、緒方の父親が通電を受けている最中に死亡する。遺体は緒方と母親、妹夫婦、彼らの娘の5人で処理した。

 翌1998年1月には、松永が母親に通電を続けたところ、精神に変調をきたして奇声を上げるように。そこで、松永に指示されて妹が母親の足を押さえつけ、妹の夫が電気コードで首を絞めて殺害。

 緒方と妹夫婦、その娘の4人が遺体を解体した。続けて2月には妹の様子がおかしくなり、彼女の娘が足を押さえ、夫が電気コードで首を絞めて殺害。4月になると妹の夫が食事制限のうえ、通電を繰り返されて衰弱。松永が眠気覚まし剤とビールを飲ませ死に至らしめた。殺人の歯車は止まらない。

 松永は、大人になったら復讐されるかもしれないと、妹の息子の殺害を指示。
緒方と妹の娘が電気コードで絞殺し、A子さんが足を押さえていた。その後は妹の娘への虐待が加速し、彼女が2歳児用おむつが履けるほどやせ細ると、松永は家族のところに行こうと説得。

 6月、彼女は自ら弟が殺害された場所に横たわり目を閉じたという。その首に緒方とA子さんが電気コードで絞めて殺害。こうして緒方一家の6人が完全にこの世から消えてしまった。
悪夢の終わりは2002年の冬。同年1月30日、最初に殺害されたBさんの娘で当時17歳になっていたA子さんが隙をつきマンションを脱出、北九州市内の祖父母の家に逃げ込んだ。

 が、そのことを知った松永は祖父母宅を訪ね、A子さんがシンナーを吸ったり、金を盗んだりと非行に走っていると説明、強引に彼女を取り戻す。連れ去られる前、彼女は「おじさんの話は全部嘘、迎えに来て」とメッセージを残すも、その願いが叶えられることはなく、マンションに戻ると緒方から首を絞められたり、通電を受けたりするなど激しい拷問を受ける。

 このとき、A子さんは自分の血を用いて「今後二度と逃げ出さない」と誓約書を書かせられ、さらにはラジオペンチを使って自分で右足の親指の爪を5分以内に剥がすという罰を与えられたそうだ。

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