多死社会が到来するなか、火葬の在り方に変化が起きている。巨大利権と化した業者、そこに目を付けたハゲタカファンドに中国資本、そして料金の高騰。日本の葬送文化はどこへ向かうのか。『火葬秘史 骨になるまで』(小学館)を上梓したジャーナリストの伊藤博敏氏が火葬ビジネスの裏面史を明かす(一部敬称略)。【全3回の第1回】【写真】「東京博善」の親会社である広済堂ホールディングスのトップに立った中国人実業家の羅怡文氏
都内で火葬場を運営する「東京博善」は2025年12月23日、同社の火葬料が高額だという批判を受けて記者会見を開催。自ら依頼した米コンサルタント会社の調査結果をもとに「料金は妥当」だと強調した。
だが、無料の自治体もあるなか、一件あたり9万円という火葬料に対して、「高い」との指摘が出るのは仕方ないだろう。
東京博善は全国の火葬場の約97%が公営なのに対し、東京23区に7か所ある民間のうち6か所を独占する大手だ。2021年に火葬料を5万9000円から一挙に3割増しの7万5000円とし、2024年には現在の9万円に値上げした。
その東京博善の親会社である広済堂ホールディングスを率いるのは、中国人実業家の羅怡文・代表取締役会長である。
羅は1989年に来日したが、その名が日本で知られるようになったのは、2009年に中国資本を背景にして家電量販店「ラオックス」を買収してからである。2015年には「爆買い」の仕掛人となって新語・流行語大賞を受賞した人物だ。家電量販、小売り、観光、教育などのグループ企業を一代で築き上げた起業家である。
なぜ中国人である羅が都内の火葬を独占する東京博善を持つ会社のトップに就くことになったのか。その背景を探ることで、日本人の「火葬と葬儀」の文化と習俗を取り巻く環境、そして意識の変化が見えてくる。
そもそも東京博善が「民営の火葬場」という特殊な形を残しているのは、「公共」を定めた1948年施行の墓地埋葬法の規制を受ける前の設立だったからだ。その歴史は明治時代にまで遡る。設立者は、「明治の政商」だった木村荘平だ。
当時、差別問題に起因してタブー視されていた「食肉」と「火葬」は、警視庁の管轄だった。薩摩藩の出入り商人だった木村は、薩摩藩出身で初代警視総監となった川路利良の招きで上京し、行政とのコネを使って二大タブーに挑戦した。
まず「食肉利権」で財を築き、1887(明治20)年に「東京博善」を設立。1893年には立て続けに火葬場を買収し、今でいうM&Aで東京のトップ企業となり「巨大利権」を手にしたのだ。
事業意欲が旺盛な木村は、私生活も豪快だった。妾が20人、子供は30人もいたという。六男の荘八は、亡くなった父・荘平のことを「大べらぼう」で、「桁外れの奇漢だった」と述べている。
そんな木村の没後、東京博善は迷走する。経営権は次々に移るがうまくいかず、浄土真宗や日蓮宗など複数の僧侶が取締役や監査役に就任し、利益を考えない「宗教経営」の会社となった。
そうした経営が昭和末期に通用しなくなると、東京博善は田中角栄元首相の「刎頚の友」といわれ、荒々しく狡猾なビジネスを展開する国際興業の小佐野賢治の手に渡る。ロッキード事件で連座して逮捕された人物だ。