「武力衝突ではなく静かな締め上げ」山口真由氏が分析する香港民主党解散の真相

12月14日、香港の民主派政党の最後の砦とも言える「民主党」が党員大会にて解散を決定した。同党の羅健熙主席は、解散の背景に中国政府の圧力があったことを示唆した。’20年の香港国家安全維持法施行後、香港の民主派政党の解散が相次いでおり、民主党の幹部らの逮捕も続いていた。
 信州大学特任教授の山口真由氏は、「香港で起きているのは戦車で踏み潰すような支配ではなく、中国流の“静かな締め上げ”」だと指摘する。(以下、山口氏の寄稿)
香港の民主党が解散した。これで香港の野党はついに姿を消したわけだが、中国政府との壮絶な戦いの果てというより、やや尻すぼみ感が拭えない幕切れではあった。1994年の結党直後の民主党は確かに輝いていた。香港民主化の父、李柱銘氏を初代主席に戴き、英国統治下最後の議会選挙では最大勢力に躍り出た。その立ち位置から、中国に返還された1997年以降、政府と厳しく対峙する役割を期待されたのは当然だろう。

 だが民主党が選んだのは抵抗よりも妥協だった。特に、行政トップと立法府のダブル選挙を控えた’10年、普通選挙を求める民主派各党を尻目に、密室での協議を経て中国政府に歩み寄ったために、決定的に信用を失った。だからこそ、雨傘運動として知られる’14年、その後の’19年に香港で民主化を求める大規模なデモが起こったとき、民主党ももちろん参加はしたものの、中核にはなり得なかったのだ。既存の政党に飽き足らない若い力は、金融街を占拠するなど一時はすさまじいエネルギーを放つも、秩序立った組織も、中国本土の民主派との連携もないまま、やがては瓦解していった。

 野放図に理想を語ってデモ行進した若者たち……その比較において、老練な民主党の政治家たちは現実路線を取ったとも評価できる。当たって砕けるより、恥を忍んでも生き永らえる。そうして民主派の受け皿を残そうとした彼らの覚悟も、結局は潰えたのだ。

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